遠回りを食べる辻神
タクシー運転手は、最短経路にこだわった。
渋滞を避け、信号の少ない道を選び、一分でも早く着く。
客が景色を見たいと言えば、観光車ではないと断った。
ある夜、料金メーターの上に、小さな旅装の神様が座っていた。
笠を背負い、腹を鳴らしている。
「乗客が思い出のために選んだ遠回りの料金しか食べられぬ」
運転手は迷惑そうにした。
遠回りは苦情のもとだ。
最初の客は、病院から帰る老人だった。
行き先を告げたあと、
「古い商店街を通れますか」
と頼む。
閉店した妻の店を最後に見たいという。
運転手はメーターの神様を見て、渋々曲がった。
老人は、暗い店先を一度見ただけで、
「もういい」
と言った。
増えた料金を払おうとしたが、運転手は通常経路との差額を引いた。
辻神は、
「腹が減る」
と怒った。
「思い出の料金を、勝手になかったことにするな」
老人は笑い、
「払わせてください。私が選んだ道です」
と言った。
辻神は硬貨の音を食べ、少し大きくなった。
次の客は、親子だった。
子どもが、
「海の道」
と頼む。
母親は急いでいると止めたが、翌日、遠い町へ引っ越すという。
運転手は海沿いを走った。
子どもは窓へ額を付け、何も話さなかった。
運転手にも、通らなくなった道があった。
亡き妻と暮らした家へ続く坂。
娘から、取り壊し前に一緒に見に行こうと誘われたが、
「過ぎた場所を見ても仕方ない」
と断った。
営業を終えたあと、辻神が言った。
「最後の客は、おぬしだ」
「自分の料金は出ない」
「なら、時間で払え」
運転手は娘へ電話した。
翌日、仕事を一時間遅らせ、二人で古い家の前へ行った。
建物は板で囲まれ、窓も見えない。
娘は、
「何も残ってないね」
と言った。
「道は残ってる」
運転手は答えた。
帰りは最短経路を使わず、妻が好きだったパン屋へ寄った。
辻神は後部座席で満腹になり、交差点の風へ消えた。
運転手は今も最短の道を選ぶ。
客を不要に遠回りさせない。
ただ理由を持って道を変えたい人には、到着時刻と料金を説明し、選んでもらう。
早く着くことだけが、目的地へ運ぶことではない。
途中へ置いてきた気持ちを一度拾う道も、乗客が選んだ正しい経路だった。