銀の指ぬきと未分類の声

藤枝絵麻は、自作の小冊子を図書館へ寄贈しようとして断られた。

コピー用紙を折り、糸で綴じた三十二ページ。駅裏の古い商店街を舞台にした短い物語を十編載せている。

「ISBNがないから駄目なんですか」

城戸紺は銀の指ぬきをはめ、破れた雑誌の角を補修していた。

「収蔵基準です」

「一冊しかない本には、価値がないってことですか」

「収蔵基準です」

城戸は顔を上げない。絵麻は会社帰りに半年かけて作った。販売したいわけではない。ただ、自分以外の誰か一人に読んでもらいたかった。友人へ渡すと、感想を求めているようで怖かった。図書館なら、知らない誰かが偶然見つけてくれると思ったのだ。

「一般の書架は、継続して管理できる資料を選びます。耐久性、内容、地域性、既存資料との重複」

「やっぱり素人の冊子は無理なんですね」

「話を最後まで聞いてください」

銀の指ぬきが、糸綴じの背をなぞった。

城戸は最初の一編を開いた。登場するパン屋の看板、閉店した写真館のタイル、毎週火曜だけ出る古道具店。すべて実在の商店街をモデルにしている。

「取材しましたか」

「店の人に昔の話を聞きました。許可も取りました」

「記録は」

「巻末に日付と協力者を書いてあります」

城戸は立ち上がり、一般書架ではなく地域資料室へ向かった。そこには町内会報、昔のチラシ、学校新聞、手製の聞き書き集が並んでいる。

「こちらの収蔵基準なら、検討できます」

「小説でも?」

「事実だけが地域を残すとは限りません。なくなった店の匂いを、物語しか残せないこともあります」

ただし、審査は必要で、必ず収蔵されるとは言えない。城戸は無愛想に条件を説明し、申込書の空欄を一つずつ指した。最後に、銀の指ぬきで綴じ糸の緩みを押さえる。

「このままでは貸出に耐えません。補強方法を調べて、もう一冊作ってください」

一か月後、絵麻は丈夫に綴じ直した二冊目を持参した。一冊は地域資料として受け入れられ、館内閲覧用になった。

翌週、閲覧票に最初の名前が書かれていた。

城戸紺。

「司書さんが読んだんですか」

「収蔵基準です。内容確認が必要でした」

「感想は?」

「業務外です」

城戸は銀の指ぬきを外し、絵麻の冊子から写した商店街の地図を見せた。余白に一軒、今はない喫茶店が書き足されている。

「次に取材するなら、ここを。店主が昔の図書館を知っています」

収蔵基準です、ともう一度言った声は、今度は次号を待つ合図に聞こえた。