雨粒の返信はがき
雨でにじんだ返信はがきを、乃々佳はドライヤーで乾かした。
友人・晴莉の結婚式まで、あと十日。はがきには一度「欠席」の丸をつけていた。
乃々佳は三年前から、母の通院に付き添っている。兄は遠方に住み、父は亡くなった。母は一人で出かけられないわけではないが、転ぶのを怖がり、乃々佳が有給を取ることを当然のように待っていた。
式の日も診察予約が入っていた。変更できる。けれど母は言った。
「お祝いはあとでもできるでしょう。病院は身体のことなんだから」
乃々佳もそう思った。晴莉へ欠席を伝える文章まで用意した。
その夜、晴莉から電話が来た。
『無理なら本当に大丈夫。でも、乃々佳は来たい?』
答えられなかった。
行きたいと言えば、母を優先してきた三年間が犠牲になる気がした。行きたくないと言えば、自分の生活が狭くなったことを母のせいにできる。
窓を開けたまま考えているうち、急な雨が吹き込み、机のはがきを濡らした。
翌朝、乃々佳は兄へ電話した。
「十日後、母の病院に付き添って」
『急に言われても、仕事が』
「私も、いつも仕事を休んでる」
声が強くなった。兄は黙り、やがて前日の夜に帰ると答えた。交通費をどうする、診察券はどこだと、面倒な相談が続いた。
次に母へ電話する。
「式に行くから、病院は兄と行って」
『そこまでして行きたいの?』
「行きたい。これからは、通院も三人で分けたい」
母は傷ついた声で、「分かった」と言った。
電話を切っても、乃々佳は晴れやかな気持ちにならなかった。兄へ負担を渡し、母を不安にした。三年間、自分から何も言わずに引き受けてきたことまで、相手の責任にはできない。
乾いたはがきの欠席を二本線で消し、出席へ丸をつける。紙は波打ち、どれだけ重しを置いても平らには戻らなかった。
乃々佳は新しいはがきを請求しなかった。そのまま投函した。
式当日、晴莉は受付で波打つはがきを見せて笑った。
「すごい返事が来たと思った」
「決めるのに、雨まで降ったから」
母からは、兄と病院へ着いた写真が届いていた。二人とも少し不機嫌そうだった。
乃々佳はそれを見て安心しなかった。ただ、自分がいない一日を、二人にも引き受けてもらった。