青い搬送箱
柿崎澄玲は、水族館を辞めて動物病院へ移る。
海老名夕星はその決断を聞き、「外から批判する人になるんだ」と言った。澄玲は飼育員として、狭い予算で治療を先送りする判断に耐えられなかった。夕星は、予算が少ないからこそ現場に残る人が必要だと思っていた。
二人は同じ生き物を見ながら、違う責任を数えていた。
退職まで四日、保護中の若いウミガメが餌を食べなくなった。提携先の病院はすぐ搬送するよう求めたが、広報担当は翌日の取材撮影が終わるまで待てないかと言った。水槽の前には「順調に回復中」の札がある。
澄玲は札を外した。夕星は広報へ電話し、撮影中止を伝えた。
「待って。館長の確認が先」
広報の声が受話器から漏れる。夕星は一度、澄玲を見た。勝手に搬送すれば、残る自分に処分があるかもしれない。澄玲はもう辞める。だから自分だけで箱を運ぶと言い出しそうだった。
夕星は倉庫から青い搬送箱を出した。
「一人で持つと傾く」
二人は底へ濡らしたマットを敷き、温度計を固定した。澄玲は呼吸数を記録し、夕星は搬送経路の扉を開けていく。ウミガメを持ち上げるとき、澄玲は頭側、夕星は甲羅の後ろを支えた。持ち方についても、二人は一度言い合った。
「首を自由にして」
「暴れたらぶつける」
「押さえすぎないで」
「分かってる」
分かっている、は相手の考えではなく、手の位置についてだけだった。
館長が駆けつけ、「明日の説明をどうする」と言った。澄玲は退職者らしく強く言おうとしたが、夕星が先に搬送記録を渡した。
「回復中という表示は、現状と一致しません。治療優先で出します」
澄玲は外した札を裏返し、「診察のため不在」と書いた。二人で水槽へ貼る。
裏口に病院の車が着いた。澄玲が箱の片側を持ち、夕星が反対側を持った。階段では一段ごとに声を掛け、車内で固定ベルトを二本締める。
一つ目を澄玲が引き、二つ目を夕星が引いた。乾いた留め具の音が続き、青い箱はまっすぐ動かなくなった。