青菜を数えない夕飯
長柄真琴の郵便受けに、小松菜がぎっしり詰め込まれていた。
隣の瑞穂が家庭菜園で収穫したものらしい。筆談用の小さなカードに、〈育ちすぎました。助けてください〉と書かれている。
瑞穂は耳が聞こえにくく、廊下ではいつも笑顔で会釈するだけだった。
真琴は電話相談の仕事をしている。一日中、誰かの悩みを聞き、落ち着いた声で返事をする。けれど自宅では、話しかける相手がいない。声を使い切った夜ほど、静けさが耳に重かった。
真琴はカードの裏へ、〈胡麻和えを一緒に作りませんか〉と書いて返した。
瑞穂の部屋で、小松菜をさっと茹でる。鮮やかな緑になったところで冷水へ取り、二人で水気を絞った。
すり鉢へ炒り胡麻を入れ、瑞穂が擂る。ごりごりという振動が卓上へ伝わり、真琴は手のひらでその音を感じた。
砂糖、醤油、少しの味噌を加え、青菜と和える。
会話はカードと身振りだった。瑞穂が〈仕事は声?〉と書く。
〈はい。今日は十二人と話しました〉
〈十三人目、私〉
真琴は少し考え、〈今日は話すより、一緒に擂っています〉と返した。
瑞穂は笑い、すりこぎを真琴へ渡した。
二人で茶碗を並べ、胡麻和えと、瑞穂が炊いたごはんを食べた。小松菜には少し苦みがあり、甘い胡麻味噌が葉の間へよく絡んでいる。
瑞穂は親指を立て、カードに〈数を数えなくていい味〉と書いた。
真琴は仕事中、相談件数、通話時間、評価点をいつも数えている。夕飯まで一口二口と数えていたことに気づき、箸を止めた。
〈明日も仕事?〉
〈はい〉
〈帰ったら、味噌汁。私は豆腐を出す〉
〈私は葱を買います〉
帰り際、瑞穂は残りの小松菜を新聞紙で包んだ。真琴は声に出して「ごちそうさまでした」と言い、それからカードにも同じ言葉を書いた。
瑞穂は声ではなく、両手を合わせて返した。その笑顔だけで、言葉は十分に届いた。
自室へ戻ると、掌に胡麻を擂ったときの微かな振動が残っていた。台所には青菜と味噌の香りが漂い、静けさはもう、誰もいない音ではなかった。