静けさを分け合う
彼女は、図書室でもよくしゃべった。
正確には声ではなく、ノートで。
片耳の聴力を失ってから、人の多い教室では会話を聞き分けにくい。図書室なら周りが静かで、補聴器を通した声も拾いやすい。それでも彼女は、私と話すときだけノートを使った。
『今日の数学、分かった?』
私は書く。
『途中から先生が宇宙語』
彼女は笑い、次の行へ大きく書く。
『いつも宇宙語』
同じクラスなのに、教室ではほとんど話さなかった。私は声が大きく、早口で、聞き返されると同じ言葉をさらに大きく言ってしまう。それが嫌で、彼女を避けていた。
図書委員の当番が一緒になり、ノートなら話せると知った。
ある日、私は聞いた。
『図書室は静かだから好き?』
彼女はしばらく鉛筆を止めた。
『静か、ってよく分からない』
補聴器を外すと、音が消えるわけではない。耳鳴りや振動、遠いざわめきが残る。つければ、椅子の音や紙の擦れる音まで急に近くなる。
『みんなの静かと、私の静かはたぶん違う』
私は返事を書けなかった。
彼女は続けた。
『でも、ここは聞き返しても怒られないから好き』
図書室では、聞こえなければ文字にできる。分からなければ本を指せる。沈黙が失敗にならない。
その日から、私は教室でも少しゆっくり話すようにした。口元が見える位置に立ち、一度で通じなくても勝手に諦めない。
すると彼女は、図書室で声を使うことが増えた。
最初は一言。
「それ、違う棚」
次は二言。
「返却、今日まで」
声の大きさを自分で確かめるように、ゆっくりだった。
文化祭の図書室企画で、私たちは朗読会を担当することになった。彼女は音響係、私は読む役。
本番直前、私は緊張して早口になった。
彼女がノートを掲げた。
『宇宙語禁止』
笑って、息を整えた。
朗読が始まると、彼女は客席の後ろで音量を調整した。私は一文ずつ、彼女の顔を見て読んだ。
終わったあと聞いた。
「聞こえた?」
彼女はノートではなく声で答えた。
「全部じゃない。でも、届いた」
図書室には拍手が起きた。彼女にはどう聞こえたのか、私には分からない。
それでも私たちは目を合わせ、同じタイミングで笑った。
静けさを同じように感じなくても、分け合う方法は一つではなかった。