黒角の大使

和平夜会の天井には、人間国と魔族国の旗が並んでいた。

 その下で、王子ベルグリフは婚約者を反逆者と呼んだ。

「タマリス・ヴェスパ。君は魔族へ国境門の鍵を渡した」

 隣のゼルナが、恐ろしげに黒い旗を見上げる。

「わたくし、タマリス様が黒角の男へ鍵を手渡すのを見ました。王都を売るおつもりだったのでしょう」

「敵と通じた女とは婚約を破棄し、国外追放とする」

 タマリスは腰の鍵束を確かめた。国境門の鍵は、たしかに一本足りない。

「告発は、わたくしが魔族へ門の鍵を渡したという一点ですね」

「現物も相手の手にある」

「ならば、渡した理由も鍵に刻まれています」

 客席の最奥から、黒角の大使グラオムが進み出た。人々が道を空ける。彼は鍵を掲げる代わりに、鍵へ巻かれていた細い条約帯を広げた。

 和平条約の原本から切り離せない魔法布で、国境門を共同管理する者の名と命令を一度だけ表示する。

 布に文字が燃え上がった。

 王命により、第三門の鍵を魔族国大使へ引き渡す。

 執行者、タマリス・ヴェスパ。

 立会責任者、王子ベルグリフ。

「彼女は条約を守った」とグラオムが言った。「立会責任者であるあなたは、引き渡しの場にもいた」

 ベルグリフの顔が引きつる。

「魔族の術で書き換えたのだ!」

「条約帯は、人間王の魔力で封じられている」

 ゼルナが王子から離れた。ベルグリフが呼び止めても戻らず、人間国と魔族国、二本の旗へ同じ深さで礼をする。条約を軽んじた王子より、その沈黙のほうが外交を理解していた。

 タマリスは二つの旗を見上げた。敵だった者と結んだ約束より、婚約者との約束のほうが先に破られた。門の向こうの兵士たちは、彼女の署名を信じて武器を下ろしている。それだけで選択は明確だった。

「タマリス、政治上の演出だ。魔族との婚約などできぬだろう。婚約破棄は撤回する」

「わたくしは、婚約相手ではなく、約束を守る国を選びます」

 グラオムが手を差し出す。

「共同門の初代長官。人間にも魔族にも頭を下げず、条約にだけ従う席だ」

 タマリスはベルグリフに背を向け、黒い爪のある手を取った。