『通報者コードA-17』
再雇用面接で、六十五歳の富樫朔は匿名通報を突きつけられた。
〈富樫は退職前に顧客名簿を持ち出した。再雇用すべきではない〉
採用担当の国府田健は、契約社員として戻る話を白紙にすると告げた。
「長年の功績は承知していますが、情報管理違反は別です」
同席したコンプライアンス担当の榎並沙和は、通報票の右上を見た。
通報者コードはA-17。
「この通報はいつ届きましたか」
「先週の水曜です」
「A系列は今日から使い始めた番号です」
昨夜のシステム更新で、匿名窓口の番号はZ系列からA系列へ切り替わった。先週届いた通報がA-17になることはない。
国府田は、印刷時に再採番されたのだろうと答えた。
榎並が原本を開く。受付時刻は今朝八時五十七分。富樫の面接開始三分前だった。添付された顧客名簿には、退職時の古い版ではなく、先月追加された顧客が含まれている。富樫が在職中に持ち出せるはずがなかった。
「誰かが昔の名簿へ後から足したんだ」
「その誰かは、あなたです」
共有フォルダの履歴では、国府田が八時四十三分に現行名簿を開き、富樫の旧社員番号をファイル名へ付けて保存。八時五十二分、採用システムの下書き欄へ告発文を入力している。匿名窓口への接続元も採用室だった。
富樫は国府田を見た。
「私の代わりに、誰を入れる予定だった」
会議室予約の添付名簿には、国府田の義兄が〈再雇用枠・内定予定〉として記されていた。
榎並は不採用処理を止めた。
「富樫さんの再雇用を承認します。情報管理教育の講師もお願いしたい」
続いて国府田へ向ける。
「A-17は、あなた自身の調査番号になります」
榎並は旧名簿の持出し記録も確認した。富樫は退職日に端末を初期化し、紙資料を三箱返却している。廃棄立会いのメールには国府田もCCされ、〈持出しなし〉と返信していた。国府田が今朝作ったファイルだけは、顧客名の並びが現行名簿と同じで、古い版にない並べ替え条件まで残っている。富樫は怒鳴らず、面接用に結び直したネクタイを静かに緩めた。長年教えてきた確認手順が、最後に自分を守った。
富樫の新しい社員番号より先に、国府田の通報者コードが人事記録へ残った。