つるはしを置いた日

リーゼは王国一の採掘士だった。

岩を一度叩けば空洞の位置が分かり、耳を当てれば鉱脈の深さまで言い当てた。だから十二年間、誰より危険な坑道へ先に入れられた。

黒い制服はもとの色が分からないほど土に染まり、肩当ては片方だけ薄い。つるはしを振る右手を守るため、いつも左肩で支柱や負傷者を担いだからだ。退職した夜も、寝台の通信灯には未読の緊急連絡が列を作っていた。

リーゼはそれらを残したまま、最果ての小山を買った。

山には奇妙な反響石が埋まっている。一つの音を百回返す石だ。坑口に魔法のつるはしを吊るしておけば、風で柄が揺れ、一度の打撃が坑道中へ反響する。岩は少しずつ砕け、磁力溝が鉱石だけを選び、無人台車が商業都市まで運ぶ。

人が中へ入る必要はない。リーゼ自身さえ。

ある朝、玄関の受領箱が低く鳴った。

《銀鉄鉱、定期便到着。生活費三月分を入金しました》

王国一だった頃の月給より少ない。けれど、右手を一度も握らずに得た三月だった。

その直後、戸を叩く音がした。

元坑長ザハルが、馬を汗まみれにして立っていた。通信に出ないので直接来たらしい。

「西大山で新鉱脈が出た。お前が先導しろ。報酬は望むだけ払う」

「嫌です」

リーゼは初めて、理由を添えずに断った。

ザハルは聞き間違えた顔をした。

「国王勅命の事業だぞ。名誉も爵位も――」

「要りません」

「では何が欲しい」

その問いだけは少し考えた。

昔なら、安全な支柱、交代要員、三日続けて眠れる夜、と答えただろう。どれも働き続けるための願いだった。

「今日を、何にも使わない自由です」

ザハルは笑った。「そんなものに価値があるのか」と。

リーゼは受領箱を指した。

「私には三月分あります」

元坑長の後ろで、山から無人台車が戻ってきた。空の荷台が軽い音を立てる。リーゼは扉を閉め、閂を掛けた。外から責任だの恩だのという声が続いたが、通信灯と一緒に厚い布をかぶせる。

壁には、最後に使ったつるはしが掛かっていた。彼女はそれを外し、物置の最奥へしまった。

代わりに釣り竿を一本持つ。

魚が一匹も釣れなくても、誰にも損失報告を出さなくてよい湖へ向かって、ゆっくり歩き出した。