タイムラインのない十分
灯里は帰宅してから、コートも脱がずにソファへ座った。スマートフォンの充電は十八パーセント。自分の残量も、だいたい同じくらいに思えた。
SNSを開く。昇進、婚約、旅行、手料理、運動、資格、花のある部屋。知っている人と知らない人の今日が、指一本で切れ目なく続いた。
灯里の今日には、投稿できる場面がなかった。朝は寝坊し、昼は机で菓子パンを食べ、帰りに買った総菜はバッグの中で傾いている。上司に言われた一言を、電車の中で何度も思い返した。
画面の中の人たちは、みんな自分の生活を選んでいるように見えた。灯里だけが、流れてきた一日を受け取っている。
通知欄には未読が二十四件。友人の投稿へ反応し、知人の報告を祝い、知らない人の暮らしに感心する。何もしなければ取り残される気がして、灯里は一つずつハートを押した。
充電が十五パーセントになった。
バッグから総菜を出す。小さな焼き鮭と、だし巻き卵。容器の端に汁が漏れ、レシートが湿っていた。電子レンジへ入れる前に、灯里はスマートフォンも充電器につないだ。
コードの長さではソファまで届かない。仕方なく、端末を壁際に置く。レンジの加熱は一分三十秒。待つ間、見るものがなくなった。
部屋の音が急に増えた。冷蔵庫の低い唸り、換気扇、上の階で何かを落とした音。自分の呼吸も聞こえた。
レンジが鳴り、ふたを開ける。だし巻き卵から甘い湯気が出た。鮭の皮は少しだけ縮んでいる。
灯里はテーブルに座り、スマートフォンを取りに戻らなかった。写真を撮らず、動画も流さず、最初の一口を食べる。卵は熱く、出汁が濃かった。
十分ほどして、端末を見に行くと充電は二十三パーセントになっていた。通知は三件増えている。世界は灯里が見ていない間も進み、誰かの投稿も消えなかった。
灯里の夕食も、その十分のあいだにちゃんと進んでいた。
比較しない人になれたわけではない。明日もまた開き、羨ましくなり、落ち込むかもしれない。ただ今夜は、最後のだし巻き卵を画面より先に選べた。
灯里は充電中のスマートフォンをそのままにし、冷める前に鮭を食べた。タイムラインに載らない十分を、自分だけが知っていればよかった。