ピンを抜く日
鳥居新は、壁の地図から赤い画鋲を一本抜いた。
大学の防災倉庫を借りた事務所には、避難所、給水所、炊き出し場所を示す色付きのピンが刺さっている。三人の〈レスキュー・マップ〉は、災害時に必要な物資と学生ボランティアを結ぶサービスだった。
月岡未央がノートパソコンを閉じる。
「市から補助金終了の通知。今月でサーバーも止める」
根岸征一は地図の端を押さえた。
「訓練では一位だったのに」
「本番で使えなかったから」
夏の豪雨で川があふれた夜、アプリには古い避難所が表示され、実際に開いた施設は載っていなかった。物資要請は届いたが、道路の通行止め情報と連携できず、学生を向かわせる判断が遅れた。結局、現場では紙の地図と電話が使われた。
「データ更新は市の担当だった」と征一。
「連携を確認するのは私たちだった」と未央。
新は画鋲を抜き続けた。
「訓練で動いたから、本番も動くと思った。成功画面だけ見てた」
征一は防災機器会社へ入る。
「通信が切れても動く端末を作る」
未央は市役所の危機管理課へ行く。
「更新する人がいないデータを、公開済みにしない」
二人が新を見る。
「俺は地元へ戻る。父の店を手伝う」
「防災、やめるの?」と未央。
「商店街の消防団に入る。アプリを開く前に、隣の家の人を知るところから」
地図には三百本以上の画鋲があった。三人で一本ずつ抜く。避難所の赤、物資の青、協力店の黄。抜くたび、地名の上に小さな穴が残った。
最後の一本は、大学の現在地を示す白いピンだった。
「これは残す?」と征一。
「会社があった場所」と未央。
新は首を振る。
「場所は残る。俺たちが抜けるだけ」
白いピンを外すと、地図が軽くなって壁から片側だけ落ちた。三人は笑い、同時に手を伸ばし、誰の手が支えたのか分からないまま貼り直した。
解散通知を送る。征一がグループを退出し、未央も続く。新はサーバーを停止してから、倉庫の鍵を机へ置いた。
翌朝、職員が部屋を開けると、壁には穴だらけの地図だけが残っていた。机の上には色別に分けた画鋲が三つの箱へ収まり、白い一本だけが、空になった椅子の座面に置かれていた。