マントを返す朝

古道具店で買った透明マントを、青年は恋人へ黙って使った。

羽織れば誰からも見えない。

ただ、それだけの道具だった。

最初は誕生日の贈り物を探るためだった。

恋人が友人へ、

「あの人、何でも欲しくないって言うから困る」

と話すのを聞き、欲しい物を自分から伝えた。

喜ばれた。

次は喧嘩のあと。

恋人は友人へ、

「嫌いじゃない。でも、謝れば全部戻ると思ってるのが嫌」

とこぼしていた。

青年は先回りして態度を改めた。

透明になれば、相手が口にしない正解を盗める。

恋人だけでなく、職場や家族にも使った。

人から気が利くと言われるようになった。

その代わり、誰かが黙ると不安になった。

本音を隠しているはずだと思い、マントへ手を伸ばす。

直接尋ねればよいことまで、見えない場所から確かめた。

ある夜、恋人が友人へ言った。

「一緒にいたい。でも、あの人の前だと、自分の気持ちを言う前に答えが出てくる」

青年は息を止めた。

「優しいんだけど、私より私を分かってる顔をされると、いなくなりたくなる」

友人が尋ねた。

「別れたいの?」

長い沈黙。

青年は答えを聞く前に、その場を離れた。

透明なまま自宅へ帰る。

鏡には誰も映らない。

今まで聞いた本音は、相手が自分へ言う準備をしていない言葉だった。

文脈も迷いも途中のまま、答えとして盗んだ。

それを使い、失敗しない関係を作ろうとして、相手が話す場所を消していた。

翌朝、マントを古道具店へ返した。

店主は、

「真実は役立ちましたか」

と聞いた。

「役立ちすぎました」

代金は戻らなかった。

恋人へ、すべてを話した。

怒られ、気味悪がられ、しばらく会わないと言われた。

青年は、

「でも、一緒にいたいんでしょう」

と言いかけ、飲み込んだ。

それも盗み聞きした言葉だった。

「次を決めるのは、あなたが話したいときでいい」

そう言って帰った。

一か月後、恋人から連絡が来た。

喫茶店で向かい合う。

青年は相手の顔を見ても、答えを予測しなかった。

「まだ怒ってる」

「うん」

「別れたい日もあった」

「うん」

「でも今日は、話しに来た」

青年は初めて、その日の言葉だけを受け取った。

透明マントがなくても、人の本音は全部見えない。

見えないから、尋ね、待ち、聞き間違えれば謝る。

関係を続ける小さな奇跡は、正解を盗むことではなく、分からない相手の前で姿を消さずにいることだった。