一番静かな客室

このホテルで、いちばん静かな部屋を私は知っている。

エレベーターで地下二階まで下り、白い廊下を突き当たりまで進む。案内板には部屋番号がない。鍵は歯のない銀色の板で、扉の横へ触れさせると低い音がして開く。

室内には窓も時計もない。壁は白く、空調は一年じゅう四度に保たれている。寒さを気にする客もいるが、毛布は用意しない。その代わり、薄い白布を肩まできれいに掛ける。

私は夜勤のたび、空室を確認する。扉の表面を乾いた布で拭き、取っ手に曇りがないかを見る。ここでは話し声も足音もよく響くので、靴底を滑らせるように歩くのが習慣だった。

一番は退室済み。二番と三番は滞在中。四番は明朝、家族が迎えに来る。奥の零番だけは予約表に名前がない。支配人にも知らせず、私が個人的に取っておいた部屋だ。

今夜の客は若い女だった。

赤いコートを脱がせ、金色のイヤリングを外す。荷物は小さな透明袋へまとめた。財布の中には駅前の喫茶店のレシートがあり、時刻は二十二時十九分。チェックインの記録には書かない。

女の髪に雨粒が残っていた。タオルで拭くと、眠っているように見える。私は櫛で前髪を整え、頬についた泥を落とした。どんな客でも、部屋へ通す前には身なりを整える。それがこの場所で私が守っている、唯一の礼儀だった。

「静かな部屋をご希望でしたね」

返事はない。

零番の寝台は引き出し式で、奥へ押すと壁と同じ高さに収まる。取っ手を引く前に、足元の札を確認した。名前の欄は空白。到着時刻だけ、二十三時四十分と書いた。

廊下の電話が鳴った。

上階の受付から、行方不明者を探す警察が来たという連絡だった。赤いコートの女性を見なかったか、と。

私は見ていないと答え、電話を切った。

零番の扉を開ける。冷気が白く流れ、隣の寝台から別の手が少しだけ見えた。私はそれを布の下へ戻し、女を隣へ滑らせる。

ここはホテルではなく、病院地下の霊安室だ。私は夜間係で、零番は帳簿にない遺体保冷庫だった。

一番静かな客室へ案内した女は、今夜、駅前で私が殺した三人目の客だった。