世界を滅ぼす白狼は眠りたかった

予言の白狼が王都へ入った。

「白き獣が玉座に伏すとき、王国は終わる」

百年前から恐れられた一節どおり、白狼は城門を破らず通り、まっすぐ玉座の間へ来た。騎士も魔術師も道を開け、王は冠を抱えて震えている。

呪い祓いの落第者シエラだけが、床に落ちる赤い滴を見た。魔法を打ち消せない彼女は、浄化院で包帯を洗う仕事しか与えられていない。だから血の新しさと、痛みを隠す歩き方を知っていた。

白狼の首を覆う長毛の奥へ、何本もの聖釘が打ち込まれている。予言を恐れた歴代の神官が、近づけぬよう結界の釘を放ち続けたのだ。白狼は怒っているのではない。血を流し、眠ることさえできず、ここまで歩いてきた。

「攻撃をやめてください」

大神官が叫ぶ。

「無能が口を出すな! あれは世界を滅ぼす!」

シエラは杖を置いた。呪いを消す力はなくても、傷ついたものに触れる手はある。

白狼の前へ座り、目を伏せる。

「釘を抜きたい。嫌なら、私はここから動かない」

玉座の周りでは、彼女を囮にしろという囁きまで聞こえた。それでもシエラは振り返らない。

白狼の息が髪を揺らす。牙がすぐそばにある。やがて巨大な頭が、ほんの少し下がった。

シエラは長毛をかき分けた。一本目の聖釘をつかむ。祈りの火が指を焼いたが、手を離さない。抜けた穴を布で押さえ、二本目、三本目。最後の釘を抜くころには、白狼もシエラも血と汗に濡れていた。

彼女は自分の外套を丸め、玉座の前へ置く。

「もう眠っていいよ」

白狼は王も大神官も見なかった。外套の匂いを嗅ぎ、シエラの周りを一度だけ回る。そして、玉座にではなく、彼女の前へ伏した。

額に銀河のような契約印が広がる。同じ光がシエラの胸へ宿り、予言の石板に新しい一行が浮かんだ。

――白き獣が選んだ者に伏すとき、古き王国は終わり、傷つく者を見捨てぬ国が始まる。

王が冠を取り落とす音がした。

シエラは石板を見上げる暇もなかった。白狼が完全に力を抜き、その巨大な頭を膝へ預けたからだ。

百年ぶんの息を吐くように、白狼は深く眠り始めた。血を拭った白毛は夜明け前の雲より柔らかく、逃げられないほどの重さと生きた熱が、シエラの膝から胸の奥まで、静かに満たしていった。