乳壺で待った白い歯
騎士団の公開試合で、隊長の前歯が一本、石床へ飛んだ。
観客が悲鳴を上げる。従者は歯を拾い、布で根元の血を拭おうとした。
厩務員テオバルは、その手から歯を取り上げた。白い頭の部分だけをつまみ、根には触れない。
「洗わず、牛乳へ入れます」
「汚れた歯を飲み物へ?」
「乾かすよりいい。歯科治療師まで三十分です」
テオバルは朝の配給乳を小壺へ注ぎ、歯を沈めた。根を布でこすらず、香油も薬草も塗らない。隊長本人には口元の布を噛ませ、乳壺だけを先に早馬へ持たせた。
試合場から歯科院まで二十六分。
治療師は壺から歯を取り出し、根を見て声を上げた。
「乾いていない。これなら戻せる」
処置後、白い歯は元の隙間へ収まり、細い固定具で隣の歯とつながった。隊長が鏡を見る。笑えば、抜けた場所はもう見えない。
「義歯ではないのか?」
「あなたの歯だ。保存が早かった」
去年、同じ試合で歯を失った騎士は、布包みのまま半日持ち歩き、根が乾いて戻せなかった。金貨百枚の義歯を入れ、今も硬い肉を避けている。
今回は牛乳半杯、銅貨一枚。治療開始まで二十六分。隊長の歯はその場で戻った。
試合監督は「厩務員が乳を勝手に使った」と罰金を言い渡そうとした。隊長は鏡を閉じ、固定具のある口でゆっくり告げる。
「牛一頭分でも安い」
試合監督も自分の前歯を舌で確かめ、罰金帳を静かに閉じた。
歯科治療師は、乾いた布に包んだ歯と乳へ入れた歯の見本を並べた。前者の根は白く乾き、後者は湿り気を保っている。乳壺は歯を治す薬ではない。ただ、治療師へ届く二十六分を失わないための待合室だった。隊長が鏡の前で唇を開くと、観客は義歯の金色ではなく、元どおりの白い歯を見て拍手した。歯科治療師は一週間後の検査札まで、その場で隊長へ渡した。
翌日、全競技場の救護箱へ小さな乳壺が加えられた。歯科院へ直行する早馬も常駐する。
隊長はテオバルへ厩の鍵ではなく、救護室の鍵を差し出した。
『騎士団歯科救護連絡官』
最初の月給は、失わずに済んだ義歯代より高かった。