予備の二人を残して

三廻部冬吾と妻の都与子は、結婚三十周年に予備肉体を作った。

同じ日に若返り、もう一度三十年を過ごす。それが二人の老後計画だった。

槽の中には、二十五歳の冬吾と二十三歳の都与子が眠った。管理AIは毎年、健康状態と移行推奨日を知らせた。

だが予定日は延び続けた。

孫が生まれたから。飼い犬を看取りたいから。都与子の膝の手術がうまくいったから。

「来年でいいね」

二人はそう言いながら、七十代になった。

ある冬、都与子に認知症が見つかった。

今なら、失われる前の記憶を若い体へ移せる。医師は急ぐよう勧めた。

冬吾は喜んだが、都与子は拒んだ。

「若い私が、あなたを好きになる保証はある?」

「記憶は全部移る」

「忘れ始めた私を置いていくのは、誰?」

冬吾は答えられなかった。

転送は救命ではなく、現在の脳を停止して複製へ渡す手続きだった。若い都与子が目覚める一方で、目の前の都与子は終わる。

二人は予備施設を訪れた。

事故防止のため、若い肉体には仮人格が育てられていた。ガラス越しに目を開けた二人は、仲良く並んで本を読んでいた。冬吾たちの記憶映像を見て、自分たちも夫婦だと思っているらしい。

「私たちより、うまくやってる」

都与子が笑った。

若い冬吾は几帳面で、若い都与子は旅好きだった。老いた二人とは似ているが、同じではない。

冬吾は転送契約を解約し、二体の人格登録を申請した。

若い二人は「景都」と「渚紗」という名を選び、施設を出た。夫婦として暮らすかは自分たちで決めると言った。

都与子の記憶は少しずつ薄れた。

冬吾を兄と呼ぶ日も、知らない人として怯える日もあった。冬吾はそのたび自己紹介した。

景都と渚紗は時々訪ね、買い物や掃除を手伝った。若い顔を見ても、冬吾はもう自分たちの続きだとは思わなかった。

彼らは未来ではなく、隣人だった。

都与子が亡くなったあと、冬吾は一人で老いた。

九十二歳の誕生日、景都たちから旅先の写真が届いた。二人は別々の相手と笑っていた。

冬吾は寂しく、そして安心した。

永遠に生きる計画は失敗した。

けれど、自分たちのために作られた二つの命が、自分たちの知らない明日を生きている。

それは永遠よりも、冬吾にはずっと未来らしく思えた。