予約席の暗殺者
諜報員の本名は、ここには記せない。彼はコードネーム「雨燕」を使っていた。
任務は、ホテルのレストランで協力者・鵺崎誠司から機密文書を受け取ること。合言葉は『赤い花は今夜散る』だった。
窓際の席に、一人の男が座っていた。予約札には『鵺崎誠司様』。
雨燕は向かいへ腰を下ろした。
「赤い花は今夜散る」
「やはり赤い花は外しますか」
「外す?」
「新婦さまが白を中心にしたいと」
男は花屋だった。だが雨燕は、結婚式を暗号に使っていると思った。
「白を残し、赤を消す。それでいい」
「では薔薇を二百本、処分します」
「痕跡は残すな」
「花びらも掃除します」
会話は不穏なほど噛み合った。
「例の箱は?」
「こちらに」
鵺崎が細長い箱を出す。中には銀色の花ばさみ。
「刃物か」
「よく切れます」
「使用経験は」
「毎日。茎なら一息です」
「手慣れているな」
雨燕は声を落とした。
「標的は十九時に来る」
「新郎さまですね」
「逃げ道は塞げ」
「受付にアーチを置きます」
「包囲するのか」
「蔓で」
隣の席で、新聞を読んでいた男が立ち上がった。雨燕は横顔を見て息をのむ。手配写真の暗殺者だった。胸元には、同じ『鵺崎誠司』の予約札。
「鵺崎誠司が二人?」
花屋が振り返る。
「私ですが」
「そっちではない!」
本物の協力者――暗殺者のほうが出口へ走った。雨燕も追う。しかし給仕の台車が邪魔で、距離が開く。
「逃げ道を塞いで!」
花屋は反射的に、卓上装花の大きな蔓の輪を投げた。輪は暗殺者の肩へ引っかかり、続けて倒れた銀器台が足を止める。雨燕が取り押さえた。
「見事だ。どこで訓練を?」
「ブーケトスです」
調べると、諜報部が予約表の同姓同名を見落としていた。機密文書は暗殺者の内ポケットから回収された。
花屋は事情聴取のあと、ため息をついた。
「赤い薔薇、処分しなくていいんですよね」
「むしろ祝ってくれ」
後日、諜報部の記念式典には赤い薔薇が二百本届いた。請求書も機密扱いになった。
標的を仕留めたのは、花屋だった。