二つの乗車券

多希は披露宴の帰り、ホテルの階段でヒールを脱いだ。

かかとの皮がむけ、薄い血がにじんでいた。友人・七緒からもらった絆創膏を貼り、靴を手に持ったままロビーの端へ座る。

スマートフォンには、恋人の直央から二件のメッセージが届いていた。

〈仙台の部屋、会社が押さえてくれた。来月から入れる〉

〈結婚の返事、今日じゃなくていい。でも転勤前には聞きたい〉

直央から指輪を渡されたのは一か月前だった。結婚するなら仙台へ来てほしいと言われた。多希は東京で続けたい仕事があり、異動願いは通らない。遠距離のまま結婚する話を出すと、直央は「最初から別居なんて」と困った顔をした。

今日の式で、七緒と新郎は一つの家の鍵を交換していた。会場は笑いに包まれた。多希も笑いながら、自分には同じ形が選べないと思った。

バッグには二枚の定期券がある。今使っている東京のものと、直央が冗談で作った仙台の地下鉄の一日乗車券。初めて部屋を探しに行った日に買ったものだ。

東京に残れば、仕事を守れる。結婚を断れば、直央を失うかもしれない。仙台へ行けば、二人の生活を始められる。けれど、そのために手放した仕事を、いつか直央への請求書にしてしまいそうだった。

多希は電話をかけた。

『式、終わった?』

「終わった。返事する」

息を吸うと、足の傷が脈打った。

「結婚したい。でも仙台には行かない」

直央は黙った。

「月に二回は行く。交通費も時間も半分ずつ。どちらかが無理になったら、そのときまた決める。最初から一緒に住む結婚しか考えられないなら、私は選べない」

長い沈黙のあと、直央は『それで続くと思う?』と尋ねた。

「分からない。続かなかったとき、遠距離のせいにも、仕事のせいにもしたくない。私がこの形を選んだって言う」

直央はすぐに答えなかった。多希も「待つ」とは言わなかった。

ホテルの玄関で、七緒が新郎とタクシーへ乗り込む。多希に気づき、窓越しに手を振った。

電話の向こうで、直央が息を吐いた。

『じゃあ、まず来月の往復、二人で予約しよう』

了承なのか妥協なのか、多希にはまだ分からなかった。

彼女は東京の定期券と仙台の一日券を、同じカードケースへ入れた。ヒールは履き直さず、傷のある足で駅まで歩いた。

選んだ道が痛くないとは、最初から思っていなかった。