二つの名札で入る扉
桐谷凛花は、会社の創立記念会へ遅れて着いた。
同じホテルで開かれたコスプレイベントから、急いで着替えてきたのだ。イベントの終了と会社受付の開始が三十分しか離れておらず、欠席するか最後まで迷った。金髪のウィッグと鎧は外したが、目元には赤いラインが残り、鞄にはイベント名札《RIN》がついたままだった。
宴会場の前で、受付の同僚が目を細めた。
そのとき背後から、若い女性の声が飛んだ。
「RINさん! 今日の女王、最高でした!」
イベント帰りの参加者だった。
女性は凛花の会社名札と、鞄の《RIN》を見比べ、声を失う。受付にいた同僚たちも黙った。
「すみません、会社の方でしたか」
女性が青ざめる。
凛花は反射的に「人違いです」と言いかけた。平日は電話を取り、会議室を予約する営業事務の桐谷さん。週末は炎の女王RIN。二つを離しておけば、どちらにも自信を持てた。
けれど、女性の手には今日配った小さなカードがあった。凛花が衣装の作り方を書き、応援してくれた人へ自分で渡したものだ。
それを受け取った相手だけを、今ここで間違いにすることはできなかった。
「ありがとうございます」
凛花は女性へ頭を下げた。
「RINは私です。ここでは桐谷凛花です」
同僚の一人が「全然分からなかった」と笑いかけた。
受付責任者が先に手を上げる。
「本人の許可なく写真やアカウントを探すのはやめましょう。記念会の受付を続けます」
興味と侵入を分けるその声に助けられ、凛花は会社名札を受け取った。
女性も何度も謝り、去っていった。
「隠してたの?」
受付の同僚が小声で尋ねる。
凛花は二枚の名札を手にした。片方には本名と会社名、もう片方にはRINと炎の紋章。
「話す機会がなかっただけ。今後も仕事中に女王はしないけど」
「それは助かる」
二人で少し笑った。
凛花は《RIN》を鞄から外さなかった。会社名札も首に掛けた。
宴会場の扉が開く。赤いアイラインを消しに化粧室へ戻ることはせず、二つの名前を揺らしたまま、中へ入った。