二台目のフック

柳原宙の部屋へ、熊谷健朔が自転車を担いで来た。フレームだけで、車輪は外され、チェーンも錆びていた。

「置かせてくれ」

「自転車だけか」

「今は」

二人は実業団のロードレースチームで走っていた。三年前、健朔の検査から禁止成分が出た。本人は治療薬だと訴えたが、チームは契約を切り、主将だった宙も会見で距離を置いた。半年後に処分は取り消された。しかし健朔は戻らず、宙も連絡しなかった。

健朔は療養と日雇いを繰り返し、昨夜までいた簡易宿所も出た。宙の玄関には自転車一台分の壁掛けフックしかない。

二人はホームセンターで買った二台用ラックを組み立てた。支柱を天井へ突っ張り、水平器を当てる。宙が締め、健朔が揺れを確かめた。

「もっと強く」

「天井が抜ける」

「レース中に落ちるよりましだ」

「ここはレースじゃない」

その言葉で、健朔の手が止まった。宙はラチェットを一段戻し、規定の位置で締め直した。

一つ目のフックへ宙の完成車を掛ける。二つ目は健朔のフレームに合わせて高さを変えた。錆びたチェーンを外し、二人で油を差す。指先が黒くなった。

「会見、見た」

健朔が言った。

「そうか」

「信じてるとは言わなかった」

「言えなかった」

「今は?」

宙は答えず、固着したペダルへ体重をかけた。健朔も反対側を押さえた。金属が小さく鳴り、ようやく回った。

自転車はまだ走れない。車輪もブレーキも整備が要る。二人の間にも、取り消された処分より長く残った錆がある。

作業後、宙は風呂場へ二人分のタオルを置き、鍋に米を二合入れた。健朔が「近くの店を探す」と言うと、宙は古いサドルバッグを投げた。中には家の合鍵と、チーム時代の携帯ポンプが入っている。

「空気が抜けたら使え」

「どっちに?」

「両方だ」

健朔は笑わなかったが、サドルバッグを自分のフレームへ取り付けた。玄関に置いたリュックも、その下へ移した。

夜、二台目のフックには、まだ車輪のない自転車が掛かっていた。それでも、もう空いてはいなかった。