二枚とも片道
七時五十分。斎木暢人は新宿の高速バスターミナルで、橘川万里を待っていた。暢人の切符は金沢行き、八時発。万里は金沢から来る夜行便を降りたばかりだった。
二人が会うのは四か月ぶりだった。遠距離になった日に交換した合鍵を返すため、十分だけ話そうと決めた。暢人の鍵には東京タワー、万里の鍵には金沢駅の小さなキーホルダーがついている。会うたび外して交換し、「次はそっちへ帰る」と冗談を言った。二つを並べると、キーホルダーの裏に刻んだ一本の線がつながる。交換した鍵で相手の部屋へ先に入り、冷蔵庫へ好物を置いて待つ。それが遠距離の数少ない驚かせ方だった。
万里が人波から現れ、鍵を差し出した。
「もう遠距離は続けられない」
暢人はうなずいた。昨夜、自分も同じ言葉を下書きした。どちらかが仕事を捨てる話になるたび、二人とも「今じゃない」と逃げた。だから暢人は会社を辞め、金沢の小さな設計事務所に転職を決めた。驚かせるつもりで、片道切符を買った。
「分かった。俺も、今日で終わらせに来た」
万里の顔が固くなる。
暢人は金沢行きの切符を見せた。万里も鞄から一枚出す。東京の会社の入社案内と、金沢から東京までの片道乗車券だった。
「どうして」
「東京で働く。暢人の近くに行けば、続けられると思った」
「俺は金沢へ行けば続けられると思った」
七時五十五分。金沢行きの乗車案内が始まる。
二人は笑えなかった。相手のために選んだ街が、今度は新しい距離を作った。暢人の新しい仕事も、万里の入社も明日。どちらも辞退すれば、もう元の職場には戻れない。
「また、相談しなかったね」と万里が言う。
「驚かせたかった」
「私も」
七時五十八分。係員が最終案内をする。
万里は合鍵を返そうとした手を下ろした。二つのキーホルダーを外し、東京タワーを暢人の鍵へ、金沢駅を自分の鍵へ戻す。
「今日はどっちへ行く?」
暢人は出発表示を見た。金沢行きの隣に、八時十分発の甲府行きがある。二人のどちらの職場でもない街だった。
「十分だけ、決めるのをやめよう」
八時。金沢行きの扉が閉まる。暢人は乗らなかった。
二人は窓口へ片道切符を二枚返し、次に出る甲府行きのバスへ並んで乗った。