仔馬の吐息と林檎粥

 宮代敬一は、風邪をひくたび妻の美登里に林檎粥を作ってもらった。

 白粥へすりおろした林檎を混ぜ、最後に少しだけシナモンを振る。甘い粥など病人の食べ物だと、敬一はいつも文句を言った。

 美登里が亡くなって初めての冬、敬一は乗馬クラブの厩舎で熱を出した。帰れと言われても、「寝れば治る」と藁束へ座り込む。柵の向こうから、仔馬のノアが温かな鼻息を首筋へかけた。

 クラブの管理人に追い立てられ、敬一は家へ戻った。

 冷蔵庫には林檎が一つ。米を煮て、最初から林檎を入れると酸味が飛び、茶色くなった。記憶の味とは違う。

 美登里の料理帳には、病人の頁だけ付箋が多かった。

〈粥を火から下ろしてから林檎。煮ると香りが逃げる。敬一は熱いまま食べて舌を焼くので、五分待つ〉

 その下には、〈文句を言う日は食欲あり〉と小さく書かれていた。

 敬一は鍋を作り直した。

 米が花のように開くまで煮て、火を止める。林檎をすりおろすと、白い湯気に甘酸っぱい香りが混じった。シナモンを一振りし、時計を見ながら五分待つ。

 誰も「まだ」と止めない台所で待つ五分は長かった。

 口に入れると、粥はやわらかく、林檎のしゃりっとした粒が少し残っていた。喉を通るたび、冷えていた胸が内側から温まる。

「うまいよ」

 敬一は言った。

 文句ではなくそう言ったのは、初めてだった。

「ずっと、うまかった」

 翌朝、熱が下がると、敬一は残りを保温容器へ入れて厩舎へ持っていった。人間の食べ物だからノアにはやれない。それでも蓋を開けると、仔馬は林檎の匂いに鼻を伸ばした。

 敬一は柵にもたれ、ゆっくり粥を食べた。乾いた藁と馬の吐息の中へ、林檎とシナモンの甘い香りが広がり、白い朝を静かに温めていった。

 管理人は保温容器を覗き、「奥さんの味か」と訊いた。敬一は少し考えて、「教わった俺の味だ」と答えた。美登里の手を借りなければ作れなかったが、もう作る手は自分のものだった。弱った日に自分を世話することも、残された仕事の一つなのだ。