写真館の最後の名前
町の写真館が閉店する日、店主は壁の見本写真を一枚ずつ外した。
七五三、成人式、結婚、還暦。
何十年も町の人を撮ったが、データ撮影が増え、客は来なくなった。
夕方、最後のシャッターを下ろすと、壁に残った写真の人物たちが一斉に口を開いた。
ただし、言うのは一人につき名前を一つだけだった。
その写真で笑えた理由になった人の名前だった。
七五三の子どもは「お母さん」。
結婚写真の花嫁は「妹」。
無愛想な老人は「犬」。
家族写真の赤ん坊は、まだ言葉を知らない声で「おにいちゃん」と発した。
店主は外した写真を床へ並べ、名前を聞き続けた。
撮影の日には見えなかった関係が、短い一語から浮かんだ。
カメラの後ろで変な顔をした人。
衣装を直した人。
来られなかったけれど思い出されていた人。
店主の妻の写真もあった。
開店日に撮った、受付の椅子へ座る若い姿。
妻は十年前に亡くなっている。
写真の妻が言った。
「あなた」
店主は笑った。
「それは知ってた」
最後に、閉店記念として自分で撮った店主の写真が残った。
三脚を立て、空の店内で一人椅子へ座ったものだ。
笑う理由などなかったので、真面目な顔をしている。
写真の自分は、なかなか話さなかった。
店主はシャッターを少し上げ、下ろし直した。
他の写真はもう同じ名前を繰り返さない。
閉店後に一度だけ話すらしい。
「お前には、名前がないか」
店主が尋ねると、写真の自分がようやく口を動かした。
「みんな」
店主は、撮る側だった。
家族の笑顔の理由に自分が入ることはないと思っていた。
けれど緊張した子どもへ玩具を見せ、喧嘩した夫婦の間を取り持ち、遺影用の写真を一緒に選んだ。
店主の名を覚えていない客も、店主の前で笑った時間は写真に残っていた。
翌朝、見本写真を町の人へ返すことにした。
連絡すると、予想以上の人が受け取りに来た。
写真の裏へ、店主が聞いた名前を書いた。
「この人は誰」と尋ねられ、本人も忘れていた思い出が戻ることがあった。
最後に残ったのは、店主自身の写真だった。
妻の写真と並べ、閉じた店の入口へ掛けた。
建物は後に、小さな地域資料室になった。
店主は週に二日だけ受付を手伝った。
訪れた人が古い写真を持ち込み、
「この人、誰だろう」
と相談する。
写真の人物はもう話さない。
それでも店主は、写っている人の視線や、笑顔の向く先を丁寧に見る。
名前が分からなくても、その顔を笑わせた誰かが、写真の外に必ずいる。
閉店した写真館には、今もたくさんの名前が出入りしている。