切られた縦軸

早瀬瑛太は家電量販会社の仕入部で、卓上ガスこんろの新製品を担当していた。全国千店舗への導入会議で、一酸化炭素試験の資料を配った。

グラフは最大四十八ppm。社内基準五十ppm以下で合格。メーカー営業部長の久米は、百五十万台の販売契約へ署名を求めた。

瑛太はグラフの縦軸が五十で終わっていることに気づいた。折れ線は上端へ触れたまま、途中で水平になっている。

元のCSVを開くと、濃度は六分後に百八十二ppmまで上昇していた。会議用グラフは縦軸上限を五十に固定し、超えた値をすべて四十八として表示している。

「センサーの飽和だ」と久米は説明した。「実際の濃度ではない」

瑛太はセンサー仕様を示した。測定上限は千ppm。百八十二は十分に測定範囲内である。

仕入本部長は、換気した室内で使う商品だから実害は小さいと言った。瑛太は試験条件表を開いた。メーカー自身が「一般家庭、弱換気」を販売想定に選び、窓を閉めた状態で評価している。

久米は競合品も同程度だと笑った。瑛太は比較データを求めたが、提出されたのは平均値だけ。しかも百八十二の試験を除外した後の平均だった。

瑛太は原試験票の署名欄を投影した。試験担当者は「換気口閉塞、危険」と書き、午後三時二十二分に署名している。会議用報告書では、その文字を白い矩形で覆い、午後三時二十一分に「異常なし」と承認していた。担当者の署名より一分早い。

仕入本部長の手が契約印へ伸びた。瑛太は百八十二という数字を画面いっぱいに表示した。

「縦軸を切っても、空気は五十で止まりません」

瑛太は試験室の換気扇ログも示した。濃度が百八十二へ達した直後、担当者は非常換気を作動させている。久米は通常手順だと言ったが、通常試験で非常ボタンを押す理由はない。ボタンの作動時刻と『危険』の署名時刻は同じ午後三時二十二分だった。

本部長の手が止まった。百五十万台の販売決裁は、グラフの外へ隠された百三十二ppmを越えられなかった。