初雪の窓に指で書く

 千草夕映は、初雪の日にもいつもどおり仕事をしていた。

 自宅の机で経理資料を開き、窓の外が白くなっていくのを画面の端で見ていた。

 昼すぎ、向かいの団地の窓に、指で書いた大きな文字が浮かんだ。

〈ゆき〉

 書いたのは、向かいの部屋に住む幼い姉弟だった。

 硝子の曇りへ二人で何度も丸を描き、そのたび母親が布で消している。

 夕映は少し笑い、自分の窓へ近づいた。

 室内と外気の差で、こちらの硝子も白く曇っていた。

 指を当て、何を書くか迷う。

〈しごと〉

 そう書いてから、あまりに面白くなくて消した。

 午後三時、メールが一段落した。

 夕映は窓へ〈さむい〉と書いた。

 向かいの子どもが気づき、こちらへ手を振る。少しして、向こうの窓に〈ココア〉と増えた。

 夕映は台所を見た。棚に、去年買ったままのココアがある。

 牛乳を鍋で温め、粉を溶かす。

 甘い香りが部屋へ広がり、窓の曇りがさらに濃くなった。

 マグを持って戻ると、向こうの窓にも二つのカップが見えた。

 子どもたちは湯気でまた文字を書き、

〈かんぱい〉

 と見せた。

 夕映もマグを少し持ち上げた。

 仕事へ戻ろうとすると、団地の下で子どもたちが雪を集め始めた。

 小さな雪だるまは、土と落ち葉が混じり、白というより灰色だった。

 夕映は画面を見た。今日中に必要な仕事は、もう終わっている。

 コートを着て外へ出た。

「窓の人だ」

 姉の方が言った。

「仕事の人」

 弟が続ける。

「今日はもう終わり」

 夕映はしゃがみ、雪だるまの頭を丸めた。

 冷たい雪が手袋へ染み、指先が赤くなった。子どもたちの母親が、温かいココアをもう一杯持ってきてくれた。

 雪だるまは不格好で、鼻には短い小枝、目には黒い豆が使われた。

 夕暮れになると、団地の灯りが一つずつ点き、雪の上へ黄色く映った。

 部屋へ戻った夕映は、窓の曇りへ〈またね〉と書いた。

 向こうからも同じ文字が返る。

 窓辺にはココアの甘い香り、コートには雪と湿った土の匂いが残っていた。

 初雪は仕事を止めるほど大きな出来事ではない。

 けれど一時間だけ画面を閉じ、冷たい季節へ手を伸ばすには、十分な合図だった。