受領印が三つ

狭間谷冬雅が調停室へ入ると、妻の御幸森杏奈穂と花房ヶ丘慎也は並んで座っていた。

杏奈穂は新しい指輪を見せた。

「証拠もないのに騒いだせいで、冬雅のほうが悪く見えてるよ。慰謝料ゼロで別れてあげる」

慎也は会社の法務部員らしく、条文を並べた。

「推測だけでは不貞は認定されません。こちらは名誉毀損の反訴も検討しています」

冬雅は三枚の受領書を机へ置いた。

一枚目は、証拠保全の目録だった。

ホテルの宿泊記録十二回、駐車場カメラ、車載GPS、二人のメッセージ原本、共同口座からの旅行代送金。撮影時刻と決済時刻はすべて一致し、第三者機関の鑑定署名が付いている。

慎也は、私生活と会社は別だと言った。

二枚目は、勤務先の監査報告だった。

慎也と杏奈穂は架空の法律相談を作り、ホテル代を“出張面談費”として精算。慎也は法務部の権限で証拠になり得るメールを削除したが、バックアップサーバーに全履歴が残っていた。

調停室の扉が開き、会社の人事責任者が二人へ懲戒解雇通知を渡した。返還請求と、調査妨害による損害賠償も行うという。

杏奈穂は冬雅の両親に連絡すると脅した。

「もう連絡済みだよ」

三枚目は、両家からの書面だった。杏奈穂の両親は実家への出入りと援助を打ち切り、慎也の両親も家業の顧問就任を撤回。冬雅の両親は、息子の訴訟費用を支え、二人との関係を絶つと記していた。

調停委員が和解条項を読み上げる。

杏奈穂は慰謝料三百五十万円と使い込み分、慎也は慰謝料二百五十万円。二人は連帯して調査費用と会社への返還金も負う。財産仮差押えの準備は済んでいた。

慎也は声を失い、杏奈穂は指輪を隠した。

「冬雅、やり直す選択もあるよね」

「ない。今日決めるのは、別れられるかではなく、何を返すかだ」

一枚目へ調停成立、二枚目へ解雇通知受領、三枚目へ親族関係終了確認。三つの赤い印が順に押された。

最後の受領印が乾いた瞬間、冬雅を証拠のない被害者と笑っていた二人は、金、仕事、家族を失った加害者として、三方向から逃げ道を封じられた。