名前を返すプレミア

槻代マヒルは、匿名作曲家〈NO NAME〉に育てられた。

十六歳から届き始めた添削データは、彼女が捨てた曲を必ず完成させた。弱いサビには一音を足し、逃げたくなる歌詞には休符を置く。連絡を求めても、返るのは同じ一文だけ。

「名前をあげる」

マヒルは、いつか有名になれるという意味だと思った。

二十歳の誕生日、〈NO NAME〉から最後の曲が届く。公開は一回限り。作曲者の正体も、最後の一音で明かすという。

イントロには、古い木琴の音が入っていた。マヒルが知らないはずなのに、指が次の音を覚えている。

Aメロで、幼い少女の鼻歌が重なる。母へ聞かせると、顔色が変わった。

「その歌、どこで」

母は、マヒルには双子の姉がいたと告白した。五歳で亡くなった姉の名も、マヒルだった。残された妹は「真昼」と呼ばれていたが、両親は喪失に耐えられず、戸籍以外のすべてで姉の名を妹へ与えた。

「名前をあげる」

それは両親が使った言葉でもあった。姉の服、姉の部屋、姉の木琴。そして姉の名前。妹の過去は、家族の都合で匿名にされた。

サビが爆発する。制作画面に、深夜の操作履歴が映った。マヒル自身の端末。彼女が眠っている時間に、捨てた曲を開き、左手で編集している。添削者〈NO NAME〉は外部の誰かではない。

画面の隅に、幼少期の診療記録が出る。強いストレスを受けると、妹は自分を「真昼」と名乗った。家族が消した本来の名前を、彼女の一部だけが覚えていた。

最終サビで、二つの合成声が同じ旋律を歌う。姉の古い鼻歌と、現在の彼女の声。競い合わず、少しずつ一つになる。

最後の一音の前、文字が表示される。

「名前をあげる」

最後だけ、それは名声を与える約束でも、死んだ姉の名を押しつける言葉でもなかった。

匿名で曲を書き続けた〈真昼〉が、奪われた名前を現在の自分へ返す言葉だった。

作曲者欄が更新される。

〈槻代真昼/槻代マヒル〉

二つの名の間に、上下も括弧もない。

最後の一音は木琴だった。マヒルは初めて、それを姉の記憶ではなく、自分が選んで鳴らした音として聞いた。