君の本棚へ帰る日

雛乃は新幹線の荷物棚から紙袋を下ろした。中には、眞尋から借りた一冊の小説がある。二人の少女が別々の道を選び、それぞれの町に本棚を作る話だった。

高校三年の春、二人は図書室の窓際で同じ本を読んだ。眞尋は十八歳で結婚すると決めていた。妊娠したわけでも、家に強制されたわけでもない。年上の恋人と町に残り、家業を手伝いたいと言った。

雛乃は理解できなかった。大学へ行き、仕事を持ってからでも遅くない。そう言うと、眞尋は「私の人生を遅れてるみたいに言わないで」と怒った。

卒業式の日、眞尋は小説を貸した。

「最後まで読んだら、どっちの生き方が正しいか教えて」

雛乃は「分かった」と答え、東京へ出た。

けれど物語に正解はなかった。都会へ行った少女も、町に残った少女も、何かを得て何かを失った。雛乃は結論を出せず、本を返さなかった。眞尋の結婚式にも出ず、出産の知らせには短い祝いだけを送った。

十年後、眞尋から引っ越し通知が届いた。家族で隣県へ移り、小さなパン屋を開くという。葉書の写真には、まだ本の少ない白い本棚が写っていた。端に〈空いてます〉と書かれている。

雛乃は本を返すため、新しい店を訪ねた。眞尋はエプロン姿で、あの頃より短い髪をしていた。二人の間には、説明しきれない十年があった。

「で、どっちが正しかった?」

眞尋が笑って聞いた。

雛乃は本を棚へ置いた。

「どっちも、正しいだけじゃなかった」

「ずるい答え」

「うん。私は仕事を選んで寂しかったし、あなたは家族を選んで後悔しなかったわけじゃないと思う」

眞尋は少し黙り、「そうだね」と言った。幸せだった場面も、逃げたかった朝もあったらしい。雛乃にも、昇進した夜の喜びと、一人で熱を出した部屋の静けさがあった。

二人は昔の続きを全部話そうとはしなかった。パンが焼けるまでの十五分だけ、今の仕事や家族のことを話した。

帰り際、眞尋は本棚から別の本を抜いた。

「これ、貸そうか」

雛乃は受け取らず、表紙だけを見た。

「今日はやめておく。次は、自分で買って読む」

店を出ると、紙袋は空だった。軽くなった手で、雛乃は来月から暮らす新しい部屋の鍵を握った。そこにも自分の本棚を作ろうと思った。眞尋と違う頁を生きたまま、同じ物語を好きだった過去を置ける本棚を。