唐揚げで百億を動かした男

機械メーカーの営業、銭本冴悟は、百億円の設備契約を決める最終商談へ臨んだ。

午前から説明を続け、昼になっても先方は無表情だった。

会議室へ弁当の注文票が回ってくる。

冴悟は最後の資料を示した。

「保守まで含め、御社の十年を支えます」

先方社長が注文票を見ながら言った。

「よし、これで決まりだ」

冴悟は立ち上がった。

「ありがとうございます!」

先方社長も驚いて顔を上げたが、冴悟は両手で握手した。

「必ず期待に応えます」

「え、ああ」

「契約書は本日中に」

「本日中?」

「速度も信頼の一部です」

「ずいぶん急だね」

「決断された方を待たせません」

会社へ戻ると、冴悟は百億受注を報告した。

上司が机を叩く。

「本当に“決まり”と言ったんだな?」

「明確に」

「金額の確認は?」

「百億の資料を開いていました」

「契約対象は?」

「十年保守込み」

「そこまで口にした?」

「空気として合意済みです」

「空気に押印欄はないぞ」

「最強の営業は言葉の前に契約を取ります」

社内は祝賀ムードになった。

製造部は増産計画を作り、財務部は融資枠を広げ、人事部は採用広告を出した。

社長が冴悟を呼ぶ。

「成功の決め手は?」

「昼前の一押しです」

「空腹時に結論を迫る?」

「人は腹が減ると本音が出ます」

「その手法に名前を」

「ランチクロージング」

「全営業所へ展開しよう」

冴悟は研修動画を撮った。

「相手がメニューを見る時、決断脳が動きます」

後輩が尋ねる。

「契約書ではなく?」

「紙を見る行為が重要だ」

「弁当でも?」

「むしろ日常の選択に本質が出る」

夕方、先方から電話が来た。

冴悟はスピーカーにする。

「契約書の件ですね」

先方社長が答えた。

『いや、今日はお礼を。君が勧めた唐揚げ弁当、うまかったよ』

「唐揚げ?」

『“これで決まり”と言ったのは弁当のことだ。設備は競合案で検討を続ける』

会議室が静まった。

上司が注文票を見る。

冴悟の指は、説明中ずっと〈特製唐揚げ〉の欄を指していた。

百億を動かしたのは設備ではなく、弁当代八百五十円だった。