塩味を三つに割る
長谷川奈々が実家の台所へ入ると、母は塩味のスコーンを焼いていた。
砂糖の容器と塩の容器を取り違えたらしい。小麦とバターの匂いはやさしいのに、ひと口噛むと強い塩気が広がる。表面はほろほろ崩れた。
「捨てようか」
母が言った。奈々は一個だけ皿へ取った。
今日は、秋に結婚式を挙げることを伝えに来た。相手が女性であることを、母はまだ知らない。
奈々は二年前から恋人と暮らしている。母にはルームメイトだと説明してきた。写真を見せるときは二人で写ったものを避け、年末も交代で実家へ帰った。恋人が熱を出した夜も、母からの電話には一人で夕食を食べていると答えた。嘘をつくたび、母を信用していない娘になった気がした。
父が亡くなってから、母は一人で奈々を育てた。結婚式では父の代わりに自分が腕を組むのだと、冗談のように何度も話した。奈々が男性と別れるたび、次は見る目を養いなさいと励ました。その隣に立つ人を知れば、笑わなくなるかもしれない。育て方を間違えたと言われることより、母が自分を責めることが怖かった。
奈々はスコーンを三つに割った。きれいには割れず、一つだけ大きくなった。いつもなら大きい部分を母へ渡す。今日は三つとも自分の皿に置いたまま、最初にいちばん大きいものを食べた。
塩辛く、喉が渇いた。それでも「平気」とは言わなかった。
「しょっぱい」
母はうなずき、盆を流しへ運ぼうとした。奈々は残り二つを、皿の上で隣り合わせに置いた。
鞄から式場の案内を出す。表紙には奈々と恋人、二人の名前が並んでいる。案内を、二つのスコーンの向こうへ置いた。
「この人と式をする」
母は名前を読み、写真を見た。案内の表紙を裏返し、また表へ戻す。長い返事はなかった。奈々は沈黙を埋めるために、相手がどんな人か説明しそうになった。仕事や家族や、母にも気に入られそうな長所を並べれば、許可をもらう話へ変わる気がして口を閉じた。
奈々は小さいほうをもう一つ食べた。最後の一つだけを残す。母がそれを取るか、捨てるかは見届けず、皿をテーブルの中央へ押した。
母は案内を閉じず、残った一つをさらに二つへ割った。食べはしなかった。ただ、離れないよう二つを寄せ、金属の盆を脇へ置いた。
奈々は塩気の残る口で、式の日付をもう一度伝えた。
母は二つに割った残りを指し、「次は砂糖で作る」と言った。式へ行くとも、腕を組むともまだ言わなかった。それでも、捨てようとした失敗を二人分の形に直した手を、奈々は答えとして急いで食べきらなかった。