夜明けに選んだ名
魔王城の玉座前で、勇者レンカを待っていたのは黒騎士ノクスだった。
兜の額には魔王の呪印。
彼が一歩動くたび、黒い鎖が玉座から心臓へ伸びる。
「勇者を殺せ」
魔王が命じる。
ノクスの大剣が振り下ろされた。
レンカは聖剣で受けるが、反撃しない。刃を交えるたび、兜の奥から「逃げろ」と押し殺した声が聞こえたからだ。
魔王が笑う。
「その聖剣なら、印を上書きできるぞ。私の騎士を奪ってみろ」
「奪わない」
「ならば死ね」
二撃目。
レンカは身を沈め、ノクスではなく床へ聖剣を突き立てた。
玉座の影に、一枚の所有契約が隠れている。
黒騎士の身体へ印を刻んでいるのではない。魔王城そのものが、彼を「玉座の付属物」として登録していた。
レンカは聖剣へ自分の紋を流さない。
代わりに、契約の中央にある《所有者》と《所有物》の間だけを斬った。
城全体が揺れる。
玉座から伸びた鎖が裂け、ノクスの額の印が砕けた。
大剣はレンカの首筋で止まる。
「斬れ!」魔王が叫ぶ。
ノクスは動かない。
「ひざまずけ!」
動かない。
レンカは聖剣を鞘へ戻し、崩れ始めた城門を指した。
「行って。魔王を討つのは私の選択。あなたの仕事じゃない」
ノクスは大剣を拾った。
魔王にもレンカにも刃を向けず、開いた門から夜の外へ出る。
レンカは一人で玉座へ進んだ。
所有する剣を失った魔王は弱く、決着は一撃だった。
だが城が崩れる。
天井が落ち、出口への橋が割れた。レンカが最後の跳躍を覚悟した瞬間、向こう岸から黒い大剣が伸びる。
ノクスが戻っていた。
剣を橋の代わりに渡し、レンカの腕を引く。
「自由になったのに、なぜ」
「城外で夜明けを見た」
彼は兜を脱ぐ。額には傷跡だけが残っている。
「どこへ行くか考えた。最初に浮かんだのが、あなたの隣だった」
朝日が黒い鎧を金色に染める。
彼は大剣を柄からレンカへ差し出し、すぐに手を離した。
「ノクスは魔王が付けた名だ。返してきた」
「では、何と呼べば?」
「アウロ。夜明けを見て、自分で選んだ」
新しい名を口にした騎士は、誰にも命じられず、勇者と同じ歩幅で崩れる城を後にした。