好きなものを書く名札
望月灯は、会社の交流会で配られた名札に〈映画鑑賞〉と書いた。
嘘ではない。ただ、本当に休日の大半を使っているのは女性アイドル〈April Kiss〉の凪紗を応援することだった。ファン仲間からは、暗い会場でも必ず友人を見つけるため〈灯台さん〉と呼ばれている。会社の灯と灯台さんは、別々でなければならないと思っていた。会社では会議の端に座り、結論だけを短く話す。ライブ会場では初対面の人に予備電池を配り、迷子になった仲間を出口まで導く。同じ親切でも、片方には名前があり、片方には評価項目しかなかった。
交流会には取引先も来ていた。灯が飲み物を運んでいると、背後から明るい声がした。
「灯台さん!」
振り向くと、取引先の広報担当、児玉弥生がいた。先月のライブで隣席になり、銀テープを分けた相手だった。弥生はすぐ状況を察し、「人違いでした」と引こうとした。
周囲の同僚は、灯の名札と弥生を見比べている。
「灯台って何?」
灯は喉まで出た「知りません」を飲み込んだ。弥生が秘密を守ろうとしてくれたことは分かる。でも、守ってもらうたびに、自分の好きな時間を危険物のように扱うのはもう疲れていた。
「私のファン仲間での呼び名です。April Kissというアイドルを応援しています」
灯は名札の〈映画鑑賞〉に一本線を引いた。空いた場所へ〈アイドル応援〉と書く。
同僚の一人が「意外」と言い、別の一人は「だから遠征に詳しいんだ」と笑った。好意的な人ばかりではないかもしれない。それでも、天井は落ちず、仕事の肩書きも消えなかった。
弥生が小声で謝った。
「会社では呼ばないほうがよかったですよね」
「今日は、呼んでもらってよかったです」
灯は名札の下端に、もう一行書き足した。
〈灯台さん〉
次の自己紹介で、灯は「望月灯です」と名乗ったあと、名札を指した。
「週末は灯台さんです。凪紗の青いペンライトを振っています」
拍手は起きなかった。必要もなかった。弥生が青いストローを掲げ、灯もグラスを上げる。
二つの呼び名は、同じ胸元で並んでいた。