家と呼ぶための最後の釘
ゼノが英雄を辞めて最初にしたことは、廃屋の玄関前で転ぶことだった。
石段の上に渡された板が腐り、踏んだ瞬間に割れたのだ。膝を泥につき、背負っていた鍋まで転がる。
魔王の爪にも倒れなかった男が、玄関の一段に負けた。
ゼノはしばらく座り込み、それから声を上げて笑った。王都では英雄が躓けば、歴史官が都合よく書き直した。ここには見ている者も、威厳を守る必要もない。
母屋の屋根には穴がある。窓にも板がない。けれど今日直すのは、玄関の一段だけだ。
腐った板を剥がし、下の石を並べ直す。森の倒木から芯の硬い部分を切り出し、斧で平らにする。剣なら一振りで魔物を斬れたが、斧は木目に逆らうと弾かれる。ゼノは手袋を外し、木の流れを指で確かめた。
削って、載せて、また外す。
日が傾く頃、板は左右の石へぴたりと収まった。古釘は曲がっていたので、鍛冶用の小槌で叩き直す。一本目、二本目。最後の一本を打つ前に、ゼノは家の外と内を見比べた。
外には、魔王を倒した剣と、王から与えられた勲章。
内には、まだ煤けた暖炉と、一人分の食卓。
最後の釘を打った。
こん、と澄んだ音が辺境の夕暮れへ伸びた。
ゼノは新しい段を踏み、何度か上り下りした。揺れない。誰かに迎えられなくても、自分の足で安全に帰れる入口になった。
暖炉では玉葱を丸ごと焼いていた。皮が焦げてぱりぱりと割れ、中から甘い湯気が漏れる。卵を落とした小鍋も、縁で静かに煮えている。
空から金色の竜が舞い降り、王の書状を咥えてきた。
『魔王軍残党、王都へ接近。英雄ゼノ、直ちに帰還せよ』
竜が首を差し出す。乗れ、ということらしい。
ゼノは書状を受け取ったが、封を切らなかった。竜の鼻先へ焼いた玉葱を半分置き、自分は新しい段を上がる。
「帰還なら、もう済ませた」
扉を閉じる前、彼は一度だけ廃屋を振り返った。
修理の必要な場所ばかりだ。だからこそ、明日することがある。
ゼノは王都ではなく家の中へ入り、夕食の湯気を優先した。