店じまいのシナモン

四十年続いた喫茶「北窓」の最後の日、店主の佐市は普段どおり六時に閉店札を出した。

常連たちは昼までに来て、花束や菓子を置いていった。写真を撮り、思い出を語り、名残惜しそうに帰った。夕方には店内が静かになり、残ったのは手伝いに来た孫の檀だけだった。

「もっと遅くまで開けなくていいの」

「四十年、六時に閉めてきたからな」

佐市はテーブルを拭き、砂糖壺の中身を瓶へ戻した。檀は壁のメニューを外す。クリームソーダ四百八十円、トースト三百円。値上げのたび上から紙を貼ったため、札は分厚くなっていた。

最後に厨房へ入ると、シナモンが少しだけ残っていた。

「捨てるのもな」

佐市はミルクを温め、二つのカップへ注いだ。シナモンを振り、蜂蜜を一匙ずつ落とす。檀が幼い頃、風邪を引くと作ってやった飲み物だった。

二人は客席ではなく、カウンターの内側に並んで座った。店側から見る店内は、檀には初めてだった。窓に夕方の通りが映り、赤い椅子が逆さに載ったテーブルは、眠り始めた動物のように見える。

「寂しい?」

檀が訊いた。

「明日の朝にならんと分からん」

毎日五時に起き、六時半に豆を挽いてきた。明日は目覚ましを止めてもいい。それが嬉しいのか寂しいのか、佐市にもまだ判別できない。

ミルクの表面にはシナモンが島のように浮かんでいた。檀が息を吹くと、島が崩れる。

「このカップ、もらっていい?」

「二つ持ってけ。誰かと飲め」

飲み終えて、佐市は最後の照明を消した。暗くなった店には、冷蔵庫の低い音だけが残る。

外へ出て鍵をかける。八月の夜は温かく、飲み物の熱と区別がつかなかった。檀の抱えた二つのカップから、使い切ったはずのシナモンが、まだほのかに香っていた。

翌朝、佐市はいつもの時刻に目を覚ました。店へ行く代わりに、台所で湯を沸かす。檀が置いていった別のカップへミルクを注ぎ、棚の隅を探すと、シナモンの小袋がもう一つ見つかった。佐市は笑い、昨日より少し多めに振った。