恋した者から消える
契約婚の指輪には、夫婦のどちらかが相手を愛した瞬間、その者を次の夜明けに消す魔法がある。
愛のない政略だけを保証するための仕組みだった。
アスレナは婚礼前夜、指輪を見つめながら、すでに条件を満たしていると思った。
契約相手のセルヴィスを、五年前から愛している。
彼は知らない。彼女は幼なじみでも侍女でもなく、領地の会計官だ。飢饉の年、領主だった彼が宝飾品を売り、使用人と同じ薄い粥を食べていた姿を帳簿の端から見ていただけ。二人きりで話したのは、今回の婚姻交渉が初めてだった。
結婚すれば、彼の領地とアスレナの町が一つの保護区になり、王軍は徴兵できない。契約期間は三年。住民一万人を守る代わりに、二人は恋愛を持ち込まないと誓う。
「魔法は、結婚後に生まれた愛だけを測るのですか」
アスレナは司祭へ尋ねた。
「いいえ。指輪をはめた時点で胸にあるものも」
夜明けに消えた者は、死体を残さない。ただ衣服と指輪だけが落ちる。人々の記憶には残る。
辞退すれば別の娘が選ばれる。けれど婚姻交渉は長引き、徴兵隊は明日来る。セルヴィス一人では、町まで保護区へ入れられない。
「顔色が悪い」
控室へ来た彼が言った。
アスレナは笑った。「緊張です。愛のない結婚でも、式は式ですから」
「三年後、好きな人と結婚できるよう条件は整える」
「好きな人はいません」
これが彼につく最初で最後の嘘になる。
彼は契約書を渡した。財産は別。居室も別。互いの仕事へ干渉しない。最後に手書きで一行足されている。
――どちらかが困ったときは、契約外でも助けること。
彼らしい余計な優しさだった。
「この条項は消しましょう」とアスレナは言った。「勘違いのもとです」
「君は私を好きにならないだろう」
冗談めかした声に、胸が痛んだ。明日の朝、彼は自分が何を言ったか悔やむだろう。だから、消える理由を残してはいけない。
アスレナは条項を線で消し、署名した。
式場の外では、一万人分の徴兵名簿が燃やされ始めている。紙が灰になる匂いを吸い込みながら、彼女は祭壇へ立った。
指輪が薬指へ通る。
その瞬間、身体の輪郭に朝焼け色の光が滲んだ。
セルヴィスが驚いて手を掴む。
「なぜ、もう魔法が」
アスレナは答えず、彼の手を最後まで離さなかった。
東の窓が白み始めるまで、残された時間はあと一時間だった。