日付が変わる前のプリン
午後十一時四十七分、藍は銀行アプリを更新した。
残高、六百三十一円。給料日は明日。会社によっては日付が変わった直後に振り込まれると聞いたことがある。あと十三分待てば、数字が増えるかもしれない。
冷蔵庫には、三日前に買ったプリンが一個ある。特売で九十八円だった。給料日前の最後の夜に食べようと決め、毎日残してきた。
藍はプリンを取り出し、テーブルに置いた。ふたには賞味期限が今日の日付で印字されている。あと十三分で期限が変わる。給与と入れ替わるように。
スマホを更新する。六百三十一円。
部屋は静かだった。隣室のシャワー音が止まり、上の階で何かを引きずる音がした。グループチャットには未読が二十八件ある。会社の同期たちが、夏の旅行について話している。藍は今月、冠婚葬祭が重なり、旅行の積立まで崩した。
来月から節約しよう。家計簿をつけ直そう。給料が入ったら、まず積立を戻そう。
考えるほど、まだ入っていないお金がすでに予定で薄くなる。
午後十一時五十三分。藍はもう一度更新した。六百三十一円。
プリンのふたを開けた。給与が入ってから食べれば、これは困窮の最後の食事ではなく、給料日の祝いになる。そう思って待っていた。でも、たった七分の違いでプリンの味が変わるわけではない。
スプーンですくう。表面は少し固く、下はなめらかだった。底のカラメルまで届くと、苦い甘さが口に広がった。
午後十一時五十八分。半分残っている。
藍はスマホの画面を消した。
振込を見届けなくても、明日は来る。残高が増える瞬間を監視していなくても、今月を乗り切ったことは変わらない。六百三十一円の自分と、給料が入ったあとの自分は、別人ではなかった。
日付が変わる前に、藍は最後の一口を食べた。空の容器をすすぎ、目覚ましをかける。
給料日は、起きてから迎えればいい。今夜はもう、眠ってよかった。
布団に入ると、時計はまだ午後十一時五十九分だった。藍は更新ボタンの代わりに目を閉じた。口の中にカラメルの苦さが少し残っている。
明日の残高より先に、今日の眠気を受け取る。それで一か月の最後を終えてもよかった。