明日のぶんの米
灯里の二十八歳の誕生日が終わるころ、台所には米が一合だけ残っていた。
友人たちは九時に帰り、恋人の惟は紙皿と飾りを片づけている。冷蔵庫には食べきれなかったケーキ、テーブルには開けていない贈り物。流しのそばには、惟が明日の朝に使う弁当箱が乾かしてある。灯里は椅子に座り、米びつの底を計量カップですくった。
翌朝、灯里は病院へ戻る。次に家へ帰れる日があるかは分からない。医師は夏までと言い、今日は夏の終わりだった。
外では、遅い蝉が一匹だけ鳴いている。窓辺の風鈴は外してあり、代わりに病院から持ち帰った薬袋が冷蔵庫へ磁石で留められていた。灯里はそこを見ず、計量カップの縁いっぱいまで米をすくった。
「ご飯なら冷凍のがあるよ」
惟が言う。
「一個だけ」
「パン買う」
「朝、買いに行かないでしょ」
「行くかもしれない」
「行かない顔してる」
惟は否定せず、紙の王冠を小さく折りたたんだ。
灯里は米をボウルへ入れ、水を注いだ。白く濁った水を捨てる。手のひらで米を押し、指を立てて回す。以前は無意識にできた動きが、今日は一つずつ確認しないと続かない。
惟が横から手を出しかけるたび、灯里はボウルを少し自分の側へ寄せた。力が足りないところだけを手伝ってもらうと、この一合が二人の仕事になる。今日は最初から最後まで、自分の用事にしておきたかった。
二度目の水、三度目の水。完全に透明にはならないところでやめる。炊飯器の内釜へ移し、一合の線まで水を足した。
「明日、病院行く前に食べる?」
惟が聞く。
「私はたぶん無理」
「じゃあ半分残す」
「残さないで」
「命令?」
「誕生日の権利」
惟は小さく笑い、折りたたんだ王冠をゴミ袋へ入れた。
内釜の底を布巾で拭き、炊飯器へ戻す。蓋を閉める音が、静かな部屋に大きく響いた。
惟は紙皿を捨て終え、炊飯器の横へ茶碗を一つ伏せた。もう一つ置こうとしてやめる。その手元を灯里は見ていたが、何も直さなかった。
時計は二十三時四十七分。炊き上がりを六時半に設定する。惟は六時四十五分まで寝る癖があるから、湯気の匂いで起きるだろう。
画面に「予約1」と表示される。灯里は時刻をもう一度確かめた。六時三十分。午前。
指先で予約ボタンを押す。
小さな橙色のランプが点いた。