明日の朝までの牛乳
佳穂は夕食と一緒に、五百ミリリットルの牛乳を買った。
消費期限は明後日。朝のコーヒーに入れれば飲み切れる量だ。コンビニの小さなパックは割高だと分かっている。それでも一リットルを買うと、最後のほうを捨てることが多かった。
夕食はオムライスと野菜スープ。黄色い卵の上に、ケチャップが細くかかっている。今日は仕事で、半年先の計画を立てる会議があった。来期の目標、必要な人員、五年後のキャリア。佳穂は「長期的には」と何度も口にしながら、自分が来月も同じ会社にいるかさえ想像できなかった。
帰宅すると、郵便受けから持ってきた賃貸更新の案内がテーブルにある。締め切りは来月末。更新するか、引っ越すか。もう少し広い部屋、通勤しやすい駅、実家に近い街。選択肢を考えるだけで、オムライスが冷めていく。
佳穂は案内を裏返し、夕食を温め直した。野菜スープのふたを少し開けすぎ、レンジの中で小さく跳ねた。掃除はあとでいい。まず席に座る。
牛乳をグラスへ少し注ぐ。夕食に牛乳は合わない気もしたが、明日のためだけに買ったものを今飲んでもいいと思った。冷たさが、ケチャップの甘さを流していく。
スマートフォンのメモには「引っ越し候補」と題したリストがある。駅名が七つ並び、家賃相場のリンクが貼られていた。佳穂は全部削除せず、メモの一番上に「今週は決めない」と書き足した。
半年後も、来月も、まだ見えない。けれど明日の朝、コーヒーに入れる牛乳はある。今夜飲んだ分を差し引いても、たぶん足りる。
長期計画が立てられない自分を、準備不足だと思わなくていい。見えるところまで用意して、その先は空けておけばいい。
佳穂はオムライスの最後の一口を食べ、牛乳を冷蔵庫の手前に置いた。
今夜決めたのは、明日の朝のことだけ。それで生活は、ひとまず続いていく。
更新案内は裏返したまま、佳穂は照明を一つ消した。部屋を変えるかどうか分からなくても、今いる部屋を今夜ぶんだけ暗くすることはできる。
冷蔵庫の中で、小さな牛乳パックは場所を取りすぎずに立っていた。先のことを少量ずつ買う暮らしも、悪くないと思った。