星図がずれた夜

天文学者の月ヶ瀬公彦が、観測ドームから消えた。

皆既月食の夜、月ヶ瀬は大学の旧天文台で極秘データを確認していた。午後十一時半、助手の氷川戸麻衣、研究費を出す棗田惟人、管理人の飯綱善治を外へ出し、円形ドームの階段扉を内側から施錠した。三人は階段踊り場で待った。

十一時四十五分、ドーム内の照明が消えた。飯綱が非常鍵で扉を開けると、望遠鏡の前に月ヶ瀬の手帳だけがあり、本人はいなかった。ドームの観測スリットは幅一・二メートルあるが、床から九メートル上にあり、外は急な金属屋根である。階段扉以外から出るのは不可能に思えた。

棗田は「研究費を持ち逃げした」と決めつけた。

私は観測記録の写真と機械卓を見て、三つの食い違いを並べた。

観測ドームは、望遠鏡を空へ向けるため建物全体の上で回転する。誰もがそれを承知していたのに、回転するのは観測方向だけだと思い込んでいた。月ヶ瀬にとっては、屋根の開口部そのものを足場へ運ぶ装置でもあった。

一つ。十一時三十二分の自動写真には北極星が写っていたのに、十一時三十九分の一枚には西側尾根の赤い障害灯がスリット下端へ写り込んでいた。

二つ。望遠鏡架台の横にある点検梯子の上段へ、ドーム走行輪と同じ黒いグリースの靴跡が付いていた。

三つ。駆動装置の記録には十一時三十八分から四十一分まで、ドームが八十七度回転し、その後元の方位へ戻った履歴が残っていた。

氷川戸が屋根図面を広げた。西側には保守用の細い足場があるが、通常はスリットと重ならない。

「ドームを回せば、開口部が足場の真上へ来る」

「その通りです。月ヶ瀬さんは点検梯子を上り、スリットを西側足場へ合わせて外へ出た。飯綱さんが遠隔操作でドームを元へ戻せば、出口は再び九メートル上の空中に見える」

星のずれ、梯子の油、八十七度の回転は、同じ三分間を示していた。月ヶ瀬は棗田による観測データ改竄を告発するため、山道側へ降りたのだという。

私は再び北を向いたスリットを見上げた。

「出口が消えたのではありません。空を回すふりをして、部屋のほうが出口を遠ざけたんです」