晴れたあとの相合傘

「晴れたら、この傘もいらないね」

逆井瑛麻は、フェリーターミナルへ向かう道で言った。

日置惟人は海洋調査船の乗組員として、明日から一年間、日本を離れる。幼いころからの友人ではあるが、恋人ではない。瑛麻は見送りに来た理由を《近所の代表》と冗談にし、惟人も訂正しなかった。

朝から降り続く雨のおかげで、二人は一本の傘に入れた。潮の匂いを含んだ風が強く、惟人が柄を握るたび瑛麻の手の甲へ触れた。

港までの二十分、肩を寄せる理由がある。濡れた手すりで滑りそうになれば腕をつかめる。けれど雲が薄くなるたび、瑛麻はこの距離まで終わる気がした。

「連絡、海の上でも届く?」

「場所による。でも月に一度は港へ入る」

「じゃあ、元気って送って」

「それだけでいい?」

惟人の問いに、瑛麻は答えられなかった。一年待ってほしいとも、待っているとも、まだ言える関係ではない。

ターミナル前で雨が止んだ。

雲の切れ間から光が差し、惟人は傘を閉じる。二人の肩が離れた。

瑛麻が「行ってらっしゃい」と手を振ろうとすると、惟人はその手を取った。掌には、小さく折った航海予定表がある。寄港する十二の都市に印がつき、それぞれの日付の下へ《瑛麻と通話》と書かれていた。

最後のページには、帰国予定日のレストラン予約。人数は二名、相手の名前は空白だった。

瑛麻はペンを借り、《瑛麻》と書く。自分のスマホにも十二回の予定を入れ、最後の一件だけ件名を《瑛麻と惟人、次の一年を決める日》にした。

「一年後まで決めるの?」

「何も決めないで待つよりいい」

惟人はつないだ手を離さず、乗船口へ歩き出した。立入禁止の線の前でようやく止まり、瑛麻を名字ではなく呼ぶ。

「瑛麻。行ってくる」

「惟人。帰ってきて」

彼はうなずき、指をゆっくりほどいた。手は離れても、十二の約束が残る。

晴れたら傘はいらない。

その言葉は、雨が止めば隣にいる理由も消えるという意味だったはずなのに。

傘を閉じたあとも次の約束を手渡したことで、二人は初めて、雨のない日にも互いを待つ人になった。