最低札の空欄
唐木田冬花は、地方建設会社で入札書のスキャンを担当していた。提出前の書類を電子保存し、原本と一致することを確認する。二十四歳の彼女に任されるのは、いつも最後の作業だけだった。
市道舗装工事の入札日、社長は押印済みの入札書を持ってきた。金額は『74,2□0,000円』。十万円の位だけが空いている。
「そこはまだ写すな」
社長は言ったが、複合機は自動で全頁を読み取っていた。保存時刻は十時三分。冬花が空欄を指摘すると、社長は「最終原価を確認中だ」と答えた。社印まで押した後で原価を決める会社などない。
十時十七分、社長の携帯が鳴った。相手の声は聞こえなかった。社長はメモに『三六』と書き、入札書の空欄へ『3』を入れた。完成額は七千四百二十三万円。原本はすぐ封筒へ入り、市役所へ運ばれた。
開札結果は、競合が七千四百二十四万円。自社はちょうど十万円安く、最低札になった。
冬花は十時三分のスキャンを削除するよう命じられた。だが文書管理システムでは、削除しても版履歴が残る。空欄の版と、十時二十分に再保存された完成版。紙端の繊維、社印のかすれ、左上の黒い点まで同じ一枚だった。違うのは数字一字だけ。
落札決裁会議で、冬花は下請け原価の説明員として社長の隣に座った。委員長が契約書へ手を伸ばしたとき、冬花は二つの画像を映した。
「十時三分には、最低札の一桁が空白でした。十時十七分の電話の後、競合より十万円だけ低い数字が入りました」
社長は原価調整だと叫んだ。冬花は通話明細を置いた。発信元は市役所契約課の直通番号。開札前に、競合の額が漏れていた。
委員長は契約課長を見た。契約課長は社長を見た。二人の間に、空欄だった一桁が大きく開いた。
委員長は通話時刻と二つのスキャン時刻を一本の線に書かせた。十時三分、空欄。十時十七分、市役所からの着信。十時二十分、数字入り。競合会社の封筒は十時十五分に契約課へ届いている。開札前でも、課長なら中身へ近づけた時間だった。冬花は、複合機の版履歴には削除者として社長のIDまで残っています、と付け加えた。空欄を消そうとした行為が、空欄の意味を強くした。
印鑑は持ち上げられたまま、最後まで下りてこなかった。