最後に悲しむ権利
毛受珠季の母は、家族への悲嘆処置を拒んだ。
末期病棟では、患者が亡くなる一週間前から家族へ感情調整薬を投与する。別れの混乱を減らし、死後の生活を早く立て直すためだ。珠季の兄は仕事を休めないと言って服用し、父も「母さんが望むなら」と申請書へ署名した。
母だけが署名しなかった。
「私が死んでも、悲しまないでほしいでしょう」と珠季が尋ねると、母は酸素マスクの下で笑った。
「少しは悲しんで。四十年も一緒にいたのに、翌朝から平気じゃ腹が立つ」
父は困った顔をした。悲嘆は残された者の負担で、死ぬ側が要求するものではないと病棟AIも説明した。母は頑として譲らなかった。
珠季は薬を飲まなかった。兄からは「感情的な判断だ」と責められた。実際、病室へ行くたび泣き、母の前で明るく振る舞えず、最期の会話を台無しにしている気がした。
一方、薬を飲んだ父は落ち着いていた。葬儀の写真を選び、銀行口座を整理し、母の冗談にも静かに笑った。母はそんな父を見て、ときどき寂しそうに目を閉じた。
亡くなる前夜、母は珠季に頼んだ。
「お父さんの薬、切れたらそばにいて。あの人、泣き方を忘れてるから」
翌朝、母は死んだ。
兄は予定どおり会議へ出た。父は看護師へ礼を言い、病室の花を分別した。珠季だけが母の手を離せず、何度も名前を呼んだ。自分だけが取り残されたようで、薬を拒んだことを恨んだ。
葬儀から十日後、父の投与期間が終わった。朝食中、味噌汁の椀を見た父の顔が崩れた。母がいつも使っていた欠けた椀だった。
父は声も出さずに泣き始め、やがて床へ座り込んだ。珠季は何も慰められず、隣へ座った。二人で一時間近く泣いた。
「こんなになるなら、薬を続けたい」と父は言った。
「続けてもいいよ」
「でも、母さんがいたことまで夢みたいになる」
父は継続を断った。兄は半年後まで薬を使い、ある日突然、母の留守番電話を聞いて泣いた。家族の悲しみは同時には来なかった。珠季はそのたび、母の頼みどおり隣にいた。
一年後、三人は母の命日に集まった。よく笑い、少し泣き、帰り際にはそれぞれの日常へ戻った。
珠季は、悲しむことが愛の証明だとは思わない。耐えられない人が薬を使うのも間違いではない。ただ、悲しみを迷惑や故障として一律に消す社会で、母は最後に選択肢を残した。
忘れずに生きるため、いつ、どれだけ痛むかを自分で決める権利だった。