最後に消す灯り

家には、三つの灯りが残っていた。

台所の裸電球、階段の足元灯、二階の小さなスタンド。家具を運び出した夜、霧島咲良と桑原壮一は一階に座り、八坂灯里だけがタブレットの画面にいた。彼女は一週間前にオーストラリアへ渡り、退去立会いへ戻れなかった。

「そっちは朝?」

咲良が聞く。

『六時。鳥がうるさい』

灯里は語学学校に通いながら、牧場で働くという。

壮一は翌朝、移動販売のパン屋に乗って東北へ向かう。咲良はこの町に残り、児童相談所の非常勤職員になる。

『咲良が最後なの、意外』

「二人が逃げるの早いだけ」

『逃げてないよ』

「私は逃げられなかっただけ」

咲良は正職員試験に落ちた。壮一のパン屋は、父の借金を引き継いだ友人の事業だ。灯里は海外就職と言っていたが、取れたのは一年のワーキングホリデーだった。三人の未来は、誰かに説明するときだけ形がよくなった。

「このスタンド、誰の?」

壮一が二階から持ってきた。黄色い傘の古い照明で、入居したときからあった。

『咲良のでしょ』

「違う。壮一が拾ったんじゃない?」

「俺じゃない」

三人とも所有者を思い出せなかった。

停電の夜、三人はその明かりだけで鍋を食べた。灯里が泣いた夜は枕元へ置き、壮一が朝までパンの試作をしたときは台所へ運び、咲良が試験勉強をするときは机を照らした。誰の物でもないから、必要な人の物になれた。

『持っていけば?』

灯里が言う。

咲良と壮一は同時に首を振った。新しい暮らしへ持ち込めば、誰か一人の思い出になる。

午前零時、通話をつないだまま、三人は家の灯りを順に消すことにした。壮一が台所を消した。灯里が画面越しに「階段」と指示し、咲良が足元灯を切った。最後にスタンドだけが空の部屋を丸く照らした。

「じゃあ、切るよ」

咲良が言う。

『待って』

灯里が画面を近づけた。

「何」

『顔、見とこうと思って』

三人はしばらく黙って、互いの映像を見た。通信が一度止まり、灯里の笑顔だけが古い写真のように固まった。

壮一が玄関を出る。灯里が通話から退出する。咲良はスタンドの紐を引いた。

暗くなった部屋には、椅子も荷物もない。窓ガラスだけが三人のいた場所を映し、やがてタブレットの画面も消えた。最後まで残ったスタンドは、持ち主を選ばないまま、朝を待つ形で置かれていた。