最後の一皿

河西家では、凪穂が食卓に座ると空気が悪くなるらしい。

義母の万里子は「嫁は動いている方が似合う」と言い、義父の徹也は杯を鳴らして酒を求める。夫の雅春は母の横から命じた。

「父さんの好物をもう一品。母さんを待たせるなよ」

凪穂の給与は、徹也の住宅ローンと万里子の生活費へ回された。雅春は毎月、妻の口座から自動送金を設定し、「親を養える息子でいたい」と胸を張った。凪穂が止めれば、三人で朝まで責めた。

結婚七年目の晩、万里子は追加の融資申込書を差し出した。

「この家を改装するの。あなたの収入を合算すれば通るわ」

雅春がペンを置く。

「母さんの誕生日だ。気持ちよく署名してくれ」

凪穂は台所から銀の盆を運んだ。

皿の上に載っていたのは料理ではなく、三通の判決正本だった。

万里子が笑う。

「また弁護士ごっこ?」

凪穂は七か月前に家を出て、三人を提訴していた。送達された訴状も期日呼出状も、万里子が「嫁の脅し」と決めつけて捨てた。雅春も裁判所へ一度も出頭せず、徹也は封筒を開けさえしなかった。

判決には、無断送金二千二百万円の返還、休業損害、治療費、財産分与、そして三人の継続的な共同不法行為に対する慰謝料一千二百万円が記されていた。支払総額は四千八百万円。

雅春が盆を払いのける。

「欠席したくらいで決まるわけない。母さん、そうだよな?」

万里子は凪穂をにらんだ。

「控訴して、あなたの嘘を全部暴くわ」

凪穂の代理人が玄関から入った。

「控訴期間は先週満了しました。判決は確定しています」

徹也の顔がゆがむ。

「払わなければいい。家は俺の名義だ」

外で金属音がした。

執行官が門を開け、銀行担当者と不動産評価人を伴って入ってくる。確定判決に基づき、雅春の預金と給与債権、万里子の定期預金、徹也名義の自宅について強制執行が申し立てられていた。

玄関扉へ、赤い縁の書面が掲示される。

《不動産競売開始決定》

雅春は青ざめ、いつものように母を振り返った。

「母さん、どうすればいい?」

万里子は答えられなかった。

凪穂は七年ぶりに、自分の席へ座った。三人の前には最後の一皿――四千八百万円の確定判決だけが残っていた。