最後の一音は解散しない

〈夜明け前解散〉の最後の一曲は、歌ではなく契約手続きだった。

所属会社は、四人が決められたフレーズを声に出すと、バンド名、原盤権、アバター、声紋のすべてを会社へ移す仕組みを作った。解散ライブの終止音が電子署名になる。拒めば一人五千万円の違約金。

ボーカルの朽木寧々は、開演直前まで契約画面を読んでいた。会社は「ファンへ別れを告げるだけ」と笑った。

曲名は〈譲渡完了〉

「さよならを言って」

イントロで合成コーラスが促す。Aメロでは、四人の過去映像が流れた。デビュー、受賞、炎上、謝罪。映像の下に小さく、〈音声認証待機中〉の文字が点滅する。

ギターが最初に「さよなら」と歌い、画面の一項目が緑になる。ベース、ドラムも続く。寧々だけが言葉を延ばし、母音を崩した。認証は失敗する。

「別れを口にして」

社長の声がイヤーモニターへ割り込む。言え。終わらせろ。寧々は二度目のサビへ進んだ。契約画面には、署名フレーズの音素列が表示されている。四人は数週間前から、それを一音ずつ別の意味へ組み替えていた。

ギターの「さ」、ベースの「よ」、ドラムの「なら」。寧々が最後に歌うべきなのは「を言って」ではない。会社の法人認証に使われる代表者の声を、伴奏の下から抽出するための起動語だった。

寧々がマイクを社長のいる舞台袖へ向ける。

苛立った社長が叫ぶ。

――さよならを言って!

その声をシステムが本人認証として受理した。画面の譲渡元と譲渡先が反転する。会社がバンドの権利を受け取るのではなく、不正契約と未払い債務を含む事業部門を代表者個人へ移し、アーティスト契約を解除する手続きが実行された。社長自身が最終署名をしたのだ。

最後の一音で、四人の端末に〈自由契約〉と表示される。バンド名の権利も四人へ残った。解散するか続けるかは、初めて自分たちで決められる。

寧々は泣き崩れる社長へ静かにマイクを向けた。

「さよならを言って」

ファンへ別れを告げるための歌詞ではない。四人を所有してきた会社へ、代表者自身の声で退場を確定させる署名だった。