最後の銀切手

祖父は郵便局を辞める日に、銀色の切手を一枚持ち帰った。

「存在しない住所へも、必ず一通だけ届く」

そう言って、誰にも使わず亡くなった。

切手は娘へ、さらに孫娘へ渡った。

孫娘の息子は、子どもが生まれる前に事故で亡くなった。

残された相手と、生まれた孫を支えながら、孫娘は銀切手を何度も手に取った。

「天国の息子へ」

と宛名を書けば、届く。

最後に何を考えたか、子どもを見たかったか、聞けるかもしれない。

けれど切手は一枚。

返事が来る保証はない。

孫が五歳になり、父親の写真を指して尋ねた。

「この人、いい人だった?」

家族はいつも、

「優しかった」

「家族思いだった」

と答えた。

本当は、寝坊し、借りた物を返さず、喧嘩すると黙る人だった。

亡くなった人を立派にするほど、孫が知りたい父親から遠ざかる気がした。

その夜、孫娘は銀切手を封筒へ貼った。

宛名を書く。

「この子が、父親の本当の話を初めて知りたいと思った日へ」

手紙には、息子の失敗をたくさん書いた。

遠足の弁当を忘れた。

就職初日に靴を左右違えて履いた。

恋人へ謝れず、玄関で三時間座った。

同時に、困っている人の荷物を黙って持つこと、子どもの名前を決めるノートを何冊も作ったことも書いた。

「あなたのお父さんは、よい人だけではありません。

あなたが似ても、似なくても、どちらでもいい。

知りたいことができたら、生きている私たちにも聞いてください」

郵便箱へ入れる。

銀切手も手紙も消えた。

配達証明はない。

それから七年たった。

十二歳になった孫が、学校から古い封筒を持ち帰った。

机の中に突然入っていたという。

銀切手には消印がなく、手紙の字は少し若い自分のものだった。

孫は読み終え、

「お父さん、格好悪いね」

と笑った。

「かなり」

「玄関で三時間って、何があったの」

孫娘は、手紙へ書かなかった続きを話した。

息子が恋人と結婚を決めた夜のこと。

喧嘩の理由。

謝った言葉。

孫はさらに質問した。

手紙だけでは足りなかった。

それこそ、宛先へ届いた証拠だった。

「天国へ送らなくてよかった?」

孫が尋ねる。

孫娘は銀切手の消えた指を見た。

「少し惜しい。でも、あの人へ言いたいことは、今ここで話せるから」

亡くした息子へは、返事のない言葉を日々口にする。

写真へ文句を言い、孫の成長を報告する。

奇跡の切手はもうない。

たった一通を未来へ送ったことで、死者の話が思い出の中へ閉じず、生きている家族の質問として何度も配達されるようになった。