最後まで未完成

八田結真は、曲の最後のコードを決めないままギターを止めた。

「また保留?」と九鬼紬。

「最後まで保留」

「今日、最後の練習だけど」と有働樹。

三人のバンド〈未定稿〉は、曲名も歌詞も拍子も、完成直前で変える癖があった。共有フォルダには「final」「final2」「final_本当」と名づけた音源が二十六個ある。

大学の部室を使えるのは今夜まで。結真は来週から別のバンドのツアーにサポートで参加する。紬は地方の図書館で古文書整理の仕事に就く。樹は弟の世話をするため実家へ戻り、通信会社で働く。

「結真だけ音楽続けるんだね」と紬。

「他人の曲だけど」

「自分の曲より完成してるから楽でしょ」

「刺すなあ」

樹はベースのつまみを回した。

「俺たち、完成させたくなかったんじゃない?」

「何を」

「曲。完成したら、その次を作らなきゃいけないから」

結真は否定しようとして、やめた。三人はいつも、未完成を未来の形として保存してきた。

最後の曲を頭から通す。七拍子のイントロ、紬の低い歌、樹のベース。途中でテンポが変わり、歌詞のない小節が続く。何度も直したはずなのに、三人の呼吸だけは最初から合っていた。

終盤、紬が予定にない歌詞を入れた。

「私たちは、続きを知らない」

樹が同じ言葉を低く重ねる。結真は最後のコードへ指を置きかけた。

長調なら希望に聞こえる。短調なら別れになる。どちらにもしたくなくて、弦から手を離した。

曲は無音で終わった。

「これで完成?」と樹。

「未完成の完成」と紬。

「嫌な言葉だな」

三人は録音を保存した。ファイル名は「final_v27」。誰も〈本当〉とは付けなかった。

片づけのあと、結真はツアー用のギターを持ち、紬は部室の楽譜を図書館へ寄贈する箱に入れた。樹はベースアンプだけを残した。実家には置く場所がないという。

グループチャットを閉じる前、紬が固定メッセージを外した。〈次の練習 未定〉という四年間変わらなかった一行が消える。

三人は退出しなかった。退出するほど決然ともしていなかった。

翌朝、無人の部室では、電源の抜かれたベースアンプが壁際に置かれていた。共有フォルダの二十七番目の音源は、最後の一秒だけ波形がなく、その空白にはまだ、どんなコードでも置けた。