月末の一円

午後九時、営業部長は御影晴香の机に座り、契約管理画面を指した。

「この一件を今日の売上に入れれば、部の予算が達成する」

晴香が担当する会計ソフトは、顧客から注文書を受け取っていた。金額は三千万円。導入作業もほぼ終わり、あとは検収書の押印だけだった。

顧客の担当者は電話で言った。

「社内承認は来週ですが、請求書だけ今月の日付で出してもらえませんか」

部長はうなずいた。営業の案件一覧では九割確定。残る一割を今夜埋めれば、全員の評価が変わる。

晴香は請求書を作らず、顧客がまだ確認していない機能を聞いた。月次締めのデータ移行。試験は少量で成功していたが、本番量では一度も動かしていない。

「注文書はある。問題が出ても修正すればいい」

部長は言った。

晴香は検収条件を読み直した。全量移行の完了が署名条件だった。今夜売上計上すれば、未完了の作業を完了と扱うことになる。失敗した場合、営業だけでなく顧客の経理担当者にも、押印の説明責任が残る。

彼女は顧客へ、今夜の請求を断った。

代わりに午前零時すぎ、全量移行の試験を行い、旧データを消さずに照合する。差異が一件でも出たら戻す。検収は結果を双方で確認した後にする。部長には、その案件を今月の予算から外すよう頼んだ。

「一円足りなくても未達は未達だ」

「一円多く見せても、完了していなければ売上ではありません」

午前零時直前、管理画面の月が切り替わった。達成率は九十九・八パーセントで止まった。部長は何も言わず帰った。

午前一時、全量移行で古い年度の消費税設定が一件だけ誤って変換された。少量試験には含まれていなかったデータだった。晴香は処理を戻し、変換条件を修正した。

午前三時、正しい結果を確認した顧客が電子の検収書に押印した。

三千万円は新しい月の最初の売上になった。

晴香が管理画面を閉じる前に、部長から短いメッセージが届いた。

〈昨日の未達理由を、今日の全員会議で説明してくれ〉

彼女は失注理由の欄を空白にしたまま、会議室へ向かった。これは失注ではなく、まだ終わっていなかった仕事だった。