朝になるたび動けない
大聖堂の屋根で、エフィカは最後に残った右手を開いた。
指先以外はすでに石だった。翼の左半分、両脚、頬、喉。夜ごと屋根を降りて人間を守るたび、朝日が身体の一部を石へ変える。それが聖堂へ縛られた石翼人の掟だった。
今夜、街へ来た影鬼は一匹ではない。
鐘楼を埋めるほどの群れが、窓から家々へ入り込もうとしている。触れられた者は眠ったまま自分の影に食われる。
屋根の陰には、鐘守の少年セグが震えていた。
「もう動くな」
彼はエフィカの石の脚へ縋った。
「朝まで待てば、兵が来る」
朝まで待てば、街に生きた者はいない。
エフィカは残った翼を広げ、屋根から身を投げた。片翼では飛べない。落ちながら右手で影鬼を掴み、石壁へ叩きつける。
一匹倒すたび、夜空からさらに十匹が降りた。
彼女は鐘楼の縄を右手へ巻いた。鐘には朝日の一滴が封じられている。鳴らせば影鬼を消せるが、石翼人が触れれば夜のうちに石化が進む。
セグが首を振った。
「それを鳴らしたら、全部石になる」
影鬼が民家の窓へ爪をかける。室内では母親が子を抱き、眠ったまま苦しんでいた。
エフィカは縄を引いた。
最初の鐘で、右足の残っていた感覚が消えた。
二度目。喉が完全な石になり、声を失う。
三度目。右手の小指から石が広がる。
影鬼は光に焼かれ、空から落ちていく。だが群れの中心に、翼で月を隠すほど大きな母鬼が残った。
母鬼はセグへ向かった。
エフィカは石になりかけた右手で少年を抱え、残った翼を盾にした。爪が背中を裂く。鐘の縄が指から滑る。
セグがその手を握った。
二人で最後の一打を鳴らした。
鐘から白い朝が溢れ、大聖堂と街を洗った。影鬼は声も残さず消えた。
本当の太陽が昇る。
光はエフィカの右手を、胸を、最後まで動いていた心臓を順に石へ変えた。彼女はセグを抱いた姿勢のまま止まった。
街の人々が目を覚まし、屋根の上の像へ祈った。
司祭たちは由来を知らず、「無名の守護聖像」と呼んだ。台座から古い銘を削り、新しい名を刻んだ。
セグだけが毎晩、石の耳元で囁いた。
「エフィカ。今日も皆、生きていたよ」
像は動かない。
けれど夜明け前になると、少年を抱く石の指がほんの少しだけ締まり、失われた名を内側へ守るように見えた。