朝六時の新しい鍵
香坂佳樹が父の家の扉を壊したのは、朝六時だった。勝臣が浴室で転び、電話口で「立てない」と言ったからだ。救急搬送のあと、骨に異常なしと分かり、二人は壊れた錠前を前にしていた。
「業者を呼ぶ」
「出張費が高い」
「救急車よりは安い」
「部品はホームセンターにある」
父は腰に湿布を貼ったまま、交換用のシリンダーを買ってきた。佳樹は呆れたが、付き添って帰った以上、途中で放り出せなかった。
古い錠を外す。ねじが錆び、一本だけ回らない。勝臣が力をかけようとするので、佳樹がドライバーを奪った。
「動くなって医者に言われただろ」
「腰を捻るなと言われた」
「同じだ」
「違う」
佳樹は潤滑剤を差し、少しずつねじを戻した。父が懐中電灯を持つ。光がずれる。
「右」
「分かってる」
「見えてない」
「お前が急に来るから眼鏡を忘れた」
「呼んだのはそっちだろ」
五年前、佳樹が友人の借金を肩代わりして家まで失いかけたとき、勝臣は一円も貸さなかった。「自分で始末しろ」と言った。その後、父が債権者と直接話し、返済期限を延ばしていたことを、佳樹は最近知った。礼を言うには腹が立ち、怒るには助けられすぎている。
「何で黙ってた」
錠ケースを抜きながら、佳樹が訊いた。
「何を」
「返済の件」
「今する話か」
「いつならするんだ」
「鍵が閉まってからだ」
逃げるような答えだった。佳樹はそれ以上追わず、新しいシリンダーを差し込んだ。
二人で内側と外側から位置を合わせる。勝臣の指が震え、ねじ穴がずれた。佳樹は父の手ごと金具を支えた。締め終え、何度か施錠と解錠を試す。扉は軽い音で閉まった。
「これで一人でも大丈夫だな」
「転んだら鍵は開けられん」
「じゃあ近所に一本預けろ」
交換セットには鍵が三本入っていた。勝臣は一本を自分の輪へ、一本を隣家へ持っていく封筒へ入れた。残りの一本を見て、佳樹は何も言わなかった。
片づけの間に、勝臣はその鍵へ小さな黒いカバーを付けた。佳樹が靴を履くため背を向けた隙に、玄関棚の上の息子の鍵束へ通す。
佳樹は外へ出てから気づいた。外そうと思えば、すぐ外せた。
けれど新しい鍵で一度だけ扉を開け直し、工具箱を玄関の中へ置いた。
「昼に取りに来る」
勝臣は、開いた扉の向こうで頷いた。
「閉め方、もう分かるな」
佳樹は鍵をポケットへ戻し、今度は扉を壊さずに閉めた。